―スポーツで士気向上― プラスチック容器専門メーカー「ヨシザワ」社長 吉澤健さん

【「リサイクル事業を成功させて、社会貢献をしていきたい」と話す吉澤さん=鈴鹿市御薗町で】

三重県鈴鹿市御薗町の「株式会社ヨシザワ」は、祖父登さん(97)が昭和36年に同市玉垣町で創業した「吉沢商店」が前身。製縄業を営む傍ら包装資材の販売を始め、同52年には自社開発の包装緩衝材断裁機で加工業務を開始した。

同60年に父茂さん(73)が経営を引き継ぎ、本格的に自社加工製品の販売に力を注ぎ事業を拡大した。平成30年に父からバトンを受け、3代目社長に就任。令和4年には現在地に移転し、本社と製造拠点を1カ所に集約した。

現在、従業員209人。皆で心をひとつに励んで成果につなげ、より一層の幸せを実感してもらいたいという意を込めた「苦労をともに」が社是。創業時からの家族経営的で温かな社風に加え、時代のニーズを先取りした大胆な設備投資をする「伝統」と「革新」を併せ持つ企業として、物流と包装業界をリードしている。

真空成形トレーやプラスチック段ボールなどの物流容器や包装資材の開発から設計、製造、配送までを一貫して手がけるようになり、それまで大手企業数社だった分野に新規参入を果たした。素材作り、図面起こし、金型作りなどの開発スピードをアップして低コストを実現した。年間約7千トンのプラスチック容器を製造し、全国に配送して業績を伸ばしている。

鈴鹿で2人きょうだいの長男として生まれ、曾祖父、祖父母、両親、叔父2人の9人家族の中で育った。幼少時は人見知りな性格で、祖父母と畑仕事をするのが好きだった。

中1で卓球部に入部、2、3年と連続で東海大会に団体出場を果たした。津高から京大工学部に進学し、1人暮らしを経験した。工業化学科の勉学の傍ら、父の勧めでゴルフ部に入り、仲間と練習に励んだ。

卒業後、三菱重工名古屋機器製作所に入社。設計課に配属され、プラスチック樹脂の押し出し機の設計に携わった。3年半後に父が体調を崩して入院したことを機に、将来について考えた。父から家業を継げとは言われなかったが、心の底にはいつかはという思いがあり、父の跡を継ぐことを決意した。

回復した父から経営のノウハウを教わりながら、経理や製造現場の仕事を一通り覚えた。従業員らをグループ分けして組織作りを図り、外注していた仕事を自社で完結してコストを大幅に削減、営業にも力を注ぎ取引先を全国に拡大した。

学生時代、スポーツを通して積極的に人と関われるようになったことから、社員の士気向上につなげようと令和4年、全国からソフトテニス選手5人を招いて実業団チーム「ヨシザワ」を創設、現在は13人の選手を抱えている。チームは今年、全日本実業団選手権で団体3位に入賞して社を活気づけてくれた。

長男諄さん(23)は社会人、次男佑真さん(20)は大学生でいずれも県外で暮らし、3男孝記さん(18)は県内の高校で寮生活を送っている。今は、妻と2人の生活。「仕事面でも支え、息子たちの個性を伸ばしながら育ててくれた妻には心から感謝です。休日は、妻とチームの応援に行くのが楽しみ」と話す。

「心身両面で充実した従業員と共に働ける喜びを感じている。プラスチックの国内循環を目指すリサイクル事業を成功させて、社会貢献をしていきたい」と目を輝かせた。

略歴:昭和49年生まれ。平成8年国立京都大学工学部工業化学科卒業。同年「三菱重工名古屋機器製作所」入社。同12年「ヨシザワ」入社。同30年「ヨシザワ」社長就任。