―「全国制覇」目標に― サッカースクールYFT「You to Football Team」代表  中村侑人さん

【「市民の誇りになれるようなチームにしたい」と話す中村さん=鈴鹿市御薗町で】

 

鈴鹿ポイントゲッターズの現役引退を機に、令和4年、サッカースクール「YFT」を創設した。鈴鹿市御薗町の鈴が谷運動広場を練習拠点に、幼児から中学生までを指導している。

「全国制覇」を目標に、サッカーを通して競争心・挑戦心・努力心を育て、世界で活躍する選手、社会で活躍する人財の輩出を目指している。

月曜から金曜は練習、土・日曜日は対外試合や大会に出場する。試合前は、レベルごとにグループ分けをして紅白戦をする。練習の成果を発揮してスタメンに上がる生徒も、実力を出し切れない生徒もいる。「スタメンが全てではないが、一つの目標として自分の力で勝ち取ってほしい」と話す。

半年間スタメンを取れず、悔し涙を流していた5年生の男子。毎日のランニングと自主練習で自分と向き合い続け、数カ月後には見違えるようなプレーをするようになり、見事スタメンに選ばれて満面の笑みを見せてくれた。

スタメンを外されて「うちの子には無理では」と保護者から相談を受けることもある。「競争から逃げず、我が子のいつかを信じて待っていただきたい」と話すという。

広島県で生まれ、父親の転勤で2歳の時に東京に移り住んだ。小3からサッカーを始め、5年生から大会に出場するようになった。母と姉、単身赴任中だった父も一緒に応援にきてくれた。

小6の時「三菱養和」にスカウトされてクラブチームに入り、各地域から選抜された選手らを強化育成するナショナルトレセンで練習を重ね、中高6年間はサッカーに明け暮れた。

卒業後は、スカウトを受けて専修大に進学。法学部で学ぶ傍ら、サッカーを続け1年で2部リーグ優勝、2年から4年までは関東大学サッカー1部リーグ3連覇を果たした。その間、捻挫や疲労骨折などで欠場もあり、サッカーから逃げたくなった時もあったが「両親の前で優勝する」という夢を4年生でかなえた。

大学卒業後は、青森の「ヴァンラーレ八戸」に加入。1年後には自分の可能性を追求しようと、片道航空券でスペインに渡った。その後、ドイツ、オーストリアなど5カ国で3年余りサッカーチャレンジをしたが、海外でプロサッカー選手になるための壁は高かった。

帰国後、東京でサッカーの個人レッスンを始めた。生徒の父親が「鈴鹿ポイントゲッターズ」のオーナーだったことから、Jリーグ昇格に力を貸してと誘われ加入した。令和3年、Jリーグ昇格がかかった試合で敗北。その後、三浦知良さんが加入し、憧れの「キングカズ」と活動できたが、翌4年もJリーグ入りを果たせず、引退した。

プロになる夢は断たれたが、得るものは多かった。困難から逃げないことが人を強くすることを、子どもたちに伝えていきたいと、チームを創設した。

柔道整復師の資格を持つ妻千渚さん(30)と、日々成長する1歳の長女葉月さんの3人家族。「妻は心身両面を気遣ってくれる最高のパートナー、娘はかけがえのない宝です」と目を細める。

「全国制覇を成し遂げることを目標に、市民の誇りになれるようなチームにしたい」と目を輝かせた。

略歴:平成3年生まれ。同26年専修大法学部卒業。同年「ヴァンラーレ八戸」加入。令和元年スポーツメンタルトレーナー資格取得。同2年ピラティスインストラクター資格取得。同4年「鈴鹿ポイントゲッターズ」引退。同5年「サッカースクールYFT」創設。