四日市市河原田町に営業本部を置く業務用食材卸会社「福村屋」は、昭和33年に創業。青果物を中心に、結婚式場をはじめホテル、飲食店、病院などに新鮮な食材を納めている。平成26年には、食と介護福祉を結び付けた高齢者施設の運営に乗り出した。
2人兄弟の次男として四日市に生まれた。中学で音楽に目覚め、仲間とロックバンドを組んだ。父が愛用していたフォークギターで毎日遅くまで練習を重ね、先輩のコンサートの前座を務めたことも。高校では軽音楽愛好会を軽音楽部に変え、演奏に明け暮れた。「ロックに燃えた学生時代。先輩や後輩との付き合い方や仲間づくりの大切さを学んだ」と、懐かしそうに振り返る。
卒業後、機械部品製造の仕事を経て、「食」に関わる仕事がやりたいと、平成5年に福村屋に転職。取引先を回るルート営業から始めた。チェーン展開している顧客のニーズに合わせて、市内中心だった配送を県全域に拡大。それに伴い、全国各地からえりすぐりの野菜や果物を仕入れる独自ルートを開発していった。
顧客の側に立って考え、信頼を得る働きぶりと実績を認められ、34歳で4代目社長の座に就いた。そのころ、ある著名人の講演を聞く機会があり、「一歩前へ」というひと言が強く心に響いた。「現状に甘えることなく、さらなる一歩を目指そう」と決意した。
入社数年前までは、バブルの好景気時代だった。当時は、結婚披露宴の引き出物も華やかで「福村屋の篭(かご)盛りフルーツ」が大当たりし、結婚式シーズンの週末には4㌧トラック3―4台をフル稼働で各会場に運んでいた。「おかげでオフシーズンの夏場もしのげたが、ピークは過ぎると予測していた」と先代から聞いていた。
「食」のプロとしての強みを生かした新たな事業展開を模索し、「じっとしてたらあかん!即行動」と、食と介護福祉を結び付ける新規事業に着手。昨年2月、同市笹川にサービス付き高齢者向け住宅「花びより」と併設するデイサービス「笑門来福」を開設し、自ら運営に乗り出した。
「食の充実」を柱に、施設長兼料理長には、20年以上食材を見る目を培い、調理師免許と野菜ソムリエの資格を持つ取締役を据えた。利用者らにとって、食べることは何よりの楽しみ。「おいしいね」のひと言から、笑顔のコミュニケーションが広がっている。利用者らの要望に応え、夕方からの通所デイサービスも他に先駆けて始めた。
「食に関しては絶対に譲れない」というポリシーの下、普段から社員らと遠慮無く意見を交換し、お互いが納得できるまで話し合う関係づくりに努めている。「今後は、地域に根差し、必要とされる場所に、必要とされる施設を増やしていきたい」と話し、「10年後、20年後には、花びよりの花を満開に咲かせたい」と目を輝かせた。
略歴:昭和43年生まれ。平成23年四日市商工会議所食品部会副部会長就任。同25年中部経済研究会副会長に就任。同年四日市西倫理法人会役員に就任。