四日市市八王子町に本部を置く「コンティニュー」は、平成14年創業。訪問医療マッサージ四日市治療院「すこやか」と、体をもみほぐして癒やすリラクゼーション施設「ゆるりら」を、イオン四日市尾平店とイオン大安店に出店している。
3人きょうだいの末っ子としていなべ市で生まれた。中・高6年間は軟式テニスに打ち込んだ。大安中時代は桑員大会で優勝して県大会に進み、奇跡と言われた東海大会出場も果たした。四日市南高校ではキャプテンを務めた。「練習の成果が出たときの喜びと、壁の厚さに涙した悔しさを共有した仲間たちとの汗にまみれた青春時代だった」と振り返る。
大学卒業後は「当時、最も厳しいといわれた職場で自分を試したい」と、東海東京証券に就職。翌年、バブルがはじけて株価が一気に暴落し、顧客に大きな損失を与えてしまった。1年後には同期入社200人中半数以上が退社していたが、初志貫徹の精神でこつこつと実績を積み上げていった。
「上から言われて動くより、自分で経営したい」―と、35歳で起業を決意した。当時、5歳と3歳だった子どもたちのことを心配した双方の親が思いとどまるよう説得する中、妻美紀さんが「思うようにやらせてあげて」と背中を押してくれた。
多くの人が集まる大型商業施設内に、気軽に立ち寄って体をもみほぐし、リフレッシュしてもらうフランチャイズ店を、四日市といなべ市に出店した。夏休み中だった県立盲学校の生徒がスタッフとして手伝ってくれたのをきっかけに、寝たきりや通院が困難な人を対象に、卒業生で国家資格を持つマッサージ師を、ケアスタッフと共に自宅に派遣する新規事業「訪問医療マッサージ」を思いついた。
健康保険が使えて、わずかな自己負担で利用できるとあって、「毎日でも来てほしい」「体が軽くなった」などと、利用者らに喜ばれるようになった。マッサージ師の施術で体も心もほぐれ、幼いころの思い出などを笑顔で話し、前向きになってくれる。口コミで新しい利用者も増えている。
障害者雇用にもつながることで、それまで視覚障害者の領域を侵しているのではという後ろめたい思いも薄れた。4年前の東日本大震災発生直後、商工会議所の仲間と救援物資を届けた被災地に、マッサージ師を伴って半年後に再訪した。仮設住宅に暮らす被災者らに施術をして回り、ひととき笑顔になってもらえた。「ボランティア活動ができてうれしかった」と、マッサージ師にとっても貴重な体験になった。
「社員の幸せがあってこその会社」と、日ごろから話をじっくりと聞いてコミュニケーションを図っている。「社員が自分に足りないことを教えてくれる。聞く力を持って改善に努め、会社の成長につなげていきたい」と目を輝かせた。
略歴:昭和41年生まれ。平成元年名城大学理工学部卒業。同21年四日市商工会議所青年部入会。同23年四日市西倫理法人会会長に就任。