―地域への貢献が使命― 複合物流サービス「三重執鬼(とるき)株式会社」社長 寺田忍さん

【「地域ナンバーワンの100年企業を目指したい」と話す寺田さん=鈴鹿市地子町で】

鈴鹿市地子町の三重執鬼は、父武則さん(88)が昭和53年に同市平野町で創業。「感謝と創意工夫」を企業理念に掲げ、4トン車5台で大手自動車メーカーの部品輸送業務を開始した。その後、集配や倉庫保管業務へと事業を拡大し、平成5年に現在地に本社を移転し、敷地の拡張を重ねてきた。

平成20年のリーマンショックをきっかけに経済が急激に落ち込み、売り上げの下降により従業員に不安が広がった。同22年、会長に退いた父から経営を引き継ぎ、会長と社長の2トップと従業員が心を一つにして経営の立て直しを図り、新規取引先を増やすなどして、2年ほどで過去を上回る実績に回復させた。

荷積み、配送、荷降ろし時の安全・安心な輸配送をモットーに、現在は従業員208人、車両123台が稼働。鈴鹿、伊賀、いなべ市などに営業所を設置し、県内を中心に愛知、岐阜、関西にもエリアを広げ、業績を伸ばし続けている。

鈴鹿市で2人兄弟の次男として生まれ、祖父母と両親の6人家族で育った。高田高校時代は仏青インターアクト部に入った。子どもやお年寄りを笑顔にできるボランティア活動に喜びを感じ、積極的に人と関われるようになった。

名古屋商科大学商学部に進学し、国際経済学科で学ぶ傍ら、箱詰め作業などのアルバイトも経験した。アルバイト代で中古車を買って、友人らとドライブを楽しんだ。4年生の時は、車に寝袋を積み込んで日本1周卒業旅行を2週間かけて単独決行した。「無茶な計画だったが、やればできるという達成感に満たされ、自信につながった」と振り返る。

卒業後は、恩師の紹介で東京都の外資系IT会社に入社し、システムエンジニアとして大型汎用(はんよう)機(ホストコンピューター)の仕事に携わった。4年後、三重執鬼が海外進出を計画しているので戻ってほしいと言われ、退社して家業に入った。

だが、タイで会社を設立した直後に洪水が起き、大手自動車メーカーの工場稼働が無期延期となり、計画は凍結された。先に入社していた兄が独立起業したため、兄に代わって父の仕事を補佐することになった。同時に、経営の神様と呼ばれた実業家稲盛和夫氏の「盛和塾」に通って、経営に関する多くを学んだ。

妻美幸さん(49)と長女款生さん(19)、次女喜泉さん(17)、3女和未さん(13)の5人家族。娘たちが幼い頃は、ドライブ旅行や外食を楽しむことが多かったが、今はピアノやバレーの発表会、書道の展覧会などそれぞれの成果を見に出かけるのが楽しみ。「娘たちに会社を継げとは言わないが、もし継ぎたいと思うなら、経営者として学んだこと全てを教えたい。結婚してくれた妻に心から感謝です」と話す。

顧客を大切にし、全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、日本の暮らしと経済を支えるライフラインとして地域社会に貢献することが使命であり目標でもある。「父から受け継いだ時より、企業価値をより一層高め、地域ナンバーワンの100年企業を目指したい」と目を輝かせた。

略歴:昭和42年生まれ。平成元年名古屋商科大学商学部卒業。同年外資系IT会社入社。同5年三重執鬼入社。同22年三重執鬼社長就任。令和4年第1回県サステナブル経営アワード受賞。