三重県四日市市野田の「サンメック」は、ニコンの測量機器販売代理店として父杲資さん(77)が同市曙町で昭和47年に創業した「三重測機商会」が前身。同60年代から自動車部品の品質確認や耐久試験のための設備開発・製造に乗り出し、平成10年代にはビルメンテナンス事業に新規参入した。
平成21年、会長に退いた父から経営を引き継ぎ、社是に「創造と挑戦」を掲げ、販売代理店から精密機器の開発・製造とビルメンテナンス業務にシフトし、東海地区を中心に業績を伸ばしている。
「人を中心とした経営」を目指し、社員25人が快適に働ける職場づくりに努めている。職場環境を良好に保つことが社員の士気を高め、顧客の満足度の向上、さらには社会貢献にもつながると考えている。年2回の個人面談で仕事上の要望、育児や介護など家庭面の相談も気軽にできる環境づくりで働き方改革を推進している。
家庭と仕事を両立させ、経営企画室長を務めている勤続22年の女性社員は「女性が働きやすい環境が整えられ、責任ある仕事に意欲的に打ち込める」と話す。また、「親戚の子を働かせてもらいたい」とうれしい頼み事をしてくれる社員もいる。
名古屋市で2人きょうだいの長男として生まれた。2歳の時、父が精密機器販売会社を経て三重県で起業し、家族で四日市に移り住んだ。幼少時からキャッチボールをしたり、魚釣りを教えてくれたりする父親が大好きで、幼稚園の卒園アルバムに、将来なりたい職業は「お父さん」と書いた。「他の子は消防士とかお菓子屋さんと書いていたのに、僕はちょっと変っていたのかな」とほほ笑む。
中学時代は姉の影響で卓球に打ち込んだ。中2の三泗地区新人戦で個人優勝、団体でも数多くの優勝を果たし、スポーツ推薦で県有数の卓球強豪校だった津工業高校に進んだ。だが、周囲の大きな期待に応えられず人生初の挫折を味わった。卒業後は、「早く社会人になって跡継ぎになるための勉強をしたい」と、進学を望んでいた父を説得し、名古屋市の「土木材料試験所」に就職した。
同社で、土や石の品質を硬度によって道路や建築物の地盤など、どんな用途に適しているかを調べてデータ化したり、地盤の耐力試験をしたりする測定員として、3年間働いた。その後、自動車部品メーカーに転職して電気技術を3年間学び、24歳で家業に入社した。
父や先輩社員に教わりながら、精密機器製造の現場作業から営業までを6年ほどかけて習得、その後は営業部長として外回り中心の仕事になった。65歳で引退を考えていた父が64歳の時、リーマンショックのために売り上げが激減した。「この大不況を新社長のお前が乗り切れば、社員がついてきてくれる」と、引退を1年早めた父から経営を一任された。
高校時代の挫折感がよみがえり、二度とあんな思いはしたくないと自身に言い聞かせた。「父の信頼に応え、必ずこの会社と社員の雇用を守ってみせる」と心に誓った。社員に状況説明をし、製造現場には新技術の開発、営業面ではエリアを狭め、顧客を絞ってより深いニーズを掘り起こすための戦略を立て直した。「数年で業績を回復できたのは社員が一丸となって頑張ってくれたから」と振り返る。
妻千花子さん(48)と長男宗資さん(20)、次男斉資さん(17)の4人家族。子どもたちが幼い頃は、キャンピングカーで海や山、ディズニーランドなどによく出かけた。「最近は息子たちと一緒に過ごすことが少なくなったが、それぞれ好きな道を進んでほしい。家庭は一番安らげる場所、家事も子育ても任せきりの妻には感謝しかない」と話す。
「現在の事業を拡大しつつ、新たに建築土木や美容業界などへの参入を視野に入れ挑戦を続けていきたい」と意欲を語った。
略歴: 昭和46年愛知県生まれ。平成元年県立津工業高校卒業。同年「土木材料試験所」入社。同4年自動車部品メーカー入社。同7年「サンメック」入社。同21年「サンメック」社長就任。同28年東海科学機器協会理事。
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