新年あけましておめでとうございます。
二十世紀もあと四年を残すのみとなった元旦のこの時、日々の激動する世界から離れ、私の歴史談義をご覧になってください。私は建築学科に入学したころから歴史に本格的に興味を持ち始めました。明治初期の、洋風建築を学ぼうとした海外留学生が、日本建築史を問われてまったく答えられず(当時そんな研究はなされていなかった)、帰国して日本建築史を研究して大を成したエピソードがあります。創造するためには歴史を知らなくてはできません。建築学科の学生は猛然と日本建築史・西洋建築史を学んでいました。
正月につきものの伊勢海老(えび)ですが、全国第六位の生産額を誇る水産県であるわが県でも全国三位の生産額を占めています。かつて中華民国(台湾)に招かれた折り、日本で言えば内閣広報室新聞室長に当たる方と、宴卓に素晴らしい伊勢海老が盛られているパーティーの席上こんな会話がありました。
「ロブスターを日本語では伊勢海老というんですが、伊勢新聞の伊勢であり、伊勢市の伊勢でもあります」
「日本ではロブスターは伊勢でしか獲れないのですか」
「いやそんなことはありません」
「それなのにどうして伊勢の海老というのですか」
私は答えに窮しました。無知を大いに恥じました。明治時代の建築留学生もかくやだったのでしょうか。帰国してから調べたところによりますと、威勢がよい大きなエビということから、いせえびと呼ばれ珍重されたという説がありました。江戸時代には三重県出身の商人がいせやと称して、江戸市中に多数の店を構えたようです。なかには伊勢特産のエビを商っていた店も少なからずあったのではないか、伊勢屋のエビだから、伊勢海老とよばれるようになったというのが私見です。
歴史は私たちに運命について考えさせてくれます。―所詮(しょせん)分からないものであっても。
作秋、卒業して二十五年目になるというので、ホームカミングデイという大学の催しに招かれました。卒後五十年組も同時に招かれていました。大学の総長のあいさつは昭和二十一年卒の方に語りかけるごとく始まり、以下の一節が印象的でした。
「私は戦時中、学生たちが学園を去ってほとんど授業もない時に、寂しい学園の中で会津八一先生が歌われた歌を思い出す。
たちいでて とやまがはらの しばくさに かたりしともは ありやあらずや」
大学では戦争で犠牲になった教職員、校友、在学生約四千三百人の霊を慰め、平和を祈念するために、平和記念碑の裏に彫り込まれている歌の作者が二十一年卒業の女性で五十年組を代表してあいさつされました。
征く人の 行き果てし校庭に 音絶えて 木の葉舞うなり 木にかがやきて
昭和十八年、学徒動員でほとんどの学生は戦争に駆り出され、二十人ほどの女子学生だけが残った寂しいキャンパスの情景を語られ、現在の四万人近くの学生数を思い、一同粛然となりました。
昭和四十六年の卒業生を代表して挨拶した衆議院議員が、授業料値上げ反対運動の大騒動の思い出を語りました。貧乏人でも入れる大学であるのに、金持ちしか入れない大学になってしまうというのが反対理由でした。ちなみに値上げ額は年間三万円弱であったと記憶しています。私は県立高校の授業料より安い値上げ後の学費が不思議であった覚えがあります。
二十五年前の同じころ、創立者の名を冠した大学正門前の通りを歩いていました。内ゲバが行われている時特有の、きな臭いような独特のにおいとほこりが硝煙のごとくキャンパスからたちこめてくるようでありました。騒然とした雰囲気がありました。文学部の方からこちらへ向かって小走りに来る女子学生のOに「どこかでゲバルトやってるの」と聞きました。「三島由紀夫と盾の会が自衛隊を占拠して切腹して死んじゃったみたいよ」。
「え、腹切ったくらいで簡単には死なないよ」。
「それが首をちょんぎっちゃったのよ。床に置いてあるんだって」。
歌うように話し、高橋和己の「憂鬱(うつ)なる党派」を貸してくれたこともある彼女は走り去りました。
「……日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう」(三島由紀夫の檄文)
三島の予見は見事なまでに的中したのではないでしょうか。国民にとって不幸なことに。
この二十五年、日本は何が変わったでしょうか。カラーテレビや、ビデオ、ファクシミリ、パソコンが普及しましたが、我々の生活は余暇がふんだんに持てるようになったでしょうか。よりよい暮らしは物質的には達成できたかに見えますが、「心の平安」は充足されつつあるでしょうか。かえって乏しくなりつつあるのではないでしょうか。
伊勢新聞社の応接室には、五・一五事件の首謀者の一人であり、三矢事件のリーダーでもあった三上卓氏自筆の歌があります。昭和五年五月於佐世保軍港一夜慨然作之 時年二十四歳と記された歌の中には次の一節があります。
権門上に驕れども 国を憂うる誠なく
財閥富を誇れども 社禝を念ふ心なし
二十五年前、五十年前、六十五年前、のそれぞれの文学作品を見る時、私たちは足下を固めることもせず、ひたすら前へ、前へと進んできただけではなかっただろうかと思います。
百二十年の歴史を誇る伊勢新聞社は本年四月には最新鋭のコンピュータ編集システムとインターネットネットワークシステムの構築を完成させます。県きっての取材力・報道力を誇る弊社が、世界にむけて県を報道できるようになりましたのもひとえに県民の皆様の支援の賜物と深く感謝しています。
和魂洋才の言葉通り、最新のテクノロジーを取り入れつつ、日本人であること、伊勢神宮に包まれた三重県人であることを忘れることなく今世紀を歩んでまいります。ご期待ください。