’00  日本の誇り取り戻すとき

 皆様新年明けましておめでとうございます。
昨年もバブル崩壊以来の年月と同じく迷走を続けてきた一年間であったように思われます。小生がかねがね申し上げてきた第二の敗戦はなおも続行しつつあります。しかも敗戦処理の不手際が、孫子の代まで及ぶ尻拭いを要する新たな膨大な損失を引き起こしつつあるのではないかと言われています。

 たとえば長銀は九九年九月末、アメリカのリップルウッドホールディングス社を中心とする組織に、「特別公的管理」といういわば国有化銀行からの売却が発表されました。最終的には五兆円を超える日本国民の財産が使われることと見られていますが、それに対してリップルウッド社が支払う買収金額は一千億円程度と見られています。

 長銀は日本の大手企業に数百億円から数千億円の貸付金があります。五年間は回収に入らない(貸付金の取りたてをしない)という契約条項もあると伝えられていますがさだかではありません。多岐にわたる契約条項の違背事項の出現によっては、数年の内に日本企業の切り売りが始まるのではと暗澹(あんたん)たる思いで見つめているしか術(すべ)もない識者も多いようです。

 太平洋戦争において攻勢が逆転するきっかけとなった、ミッドウェー海戦はいろんな不手際が緒戦の快勝からくる驕りと重なり生じた敗戦でありました。しかも初めての負け戦に慌てふためき混乱の極みに達して、甲板が大火事になっただけで喫水線以下は無事であった空母赤城を自ら雷撃して沈めて、逃げ帰ったという事実があります。(引っ張ろうとして二度やったが二度とも縄が切れた)「敵の追撃がくる。早く逃げろ」というパニックに陥っていたようです。

 すべては三時間ぐらいの間の出来事でした。真相は分かりにくいです。しかし敵の残存する爆弾・魚雷を計算すると(戦争の常識である)、米軍にはもう追撃能力がなかったようであります。戦艦大和や、長門、陸奥で曳航(えいこう)できたのではと言う声もあります。軽率な判断をした南雲司令官、山本長官とそのスタッフの責任は重いと指摘する人もいます。ところが軍部内部でかばいあって、戦史を改ざんして役人間・軍人間でかばいあっていたようです。

 「第二の敗戦」とミッドウェー敗戦はよく似ているのではないでしょうか。破綻(たん)した銀行の頭取をはじめとする旧役員は次から次に逮捕され、あるいは株主訴訟を受けています。元長銀役員が大蔵省の指示の通りにやったのに、こういう目にあわされるとは思わなかった。後ろから撃たれたと嘆くのもむべなるかなです。

 相次ぐ破綻した金融機関の報道があるたびに、監督官庁は何の責任もないと弁明の記者会見を開いています。こういう事でうやむやにしていってしばらくしたら役人は定年退職、天下りで御身大切に終わって「春の海、ひねもすのたりのたりかな」(北川知事の県職員評)でありました。しばらくしたら民間人の努力により景気回復がなされました。こんな事が今までは行われてきました。しかしこれからは、こうはアメリカがさせてくれないようです。

 「なぜこれほどまでのていたらくに、文化的にも経済的にも、日本はなってしまったのだろう」と言うのが団塊の世代の率直な感慨でありましょう。私の返答は「一つは冷戦の崩壊により、アメリカに操られた反共防波堤としての、日本の役割が大幅に低下したという事実、もう一つは米国が世界ナンバーワンの覇権を確立して、属国日本の立場を思い知らせているようです」というものです。ハンチントンは「文明の衝突」の中でこれからの世界は「キリスト教文明」と「非キリスト教文明」との対決という図式に成るが日本はどちらにも属さない国家に成る、と述べています。これは日本は経済万能主義の物質文明国家にすぎないと言われてようでもあります。経済も行き詰まった今、日本はそのアイデンティティーを喪失して呆然としているようです。

 試みに東京都の臨海副都心といわれるお台場を散策するとそこに見かけるものはおびただしい巨大な国籍不明建築群であります。多目的ホール、国際見本市会場、国際観光ホテル、ショッピングゾーン等等が、広大な敷地のあちこちに聳(そび)え立つ光景は、現代の奇観といって過言でないでしょう。

 コンクリート、ステンレス、大理石、タイル、あらゆるタイプの照明で彩られた建築群は世界のどこにも見ることができない、支離滅裂建築群であります。世界中のありとあらゆる建築様式、材料、民族的色彩を取り込み、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の町となっている感がします。個々の建物は見るべきものがあるのですが、統一性がないためおもちゃ箱をぶちまけたように成っています。六百年前にできたペルーの都市クスコは町並みが世界遺産に指定されています。

 人口三十五万人の町ですが、住居の瓦が同じ土色に統一されておとずれる旅人に美しいハーモニーをもたらし、深い感動を与えてくれます。日本の建築デザインは、都市計画は戦後五十四年間何をしていたのでしょうか。私の親友スイス人の弁護士に言わせると「お台場の建築群は非常に日本らしい」そうです。なぜなら「あれだけいろんなタイプの自己主張が激しい、世界中のはやりのトップモードをまとっている建築が林立している国は日本をおいてない。(しかも日本独自の建築様式はほとんど見掛けない)」この痛烈な皮肉に小生は吹き出すしかありませんでした。

 過日、皆様のお陰でチューリヒにて行われた世界新聞大会に岡原記者と参加できました。そこで小生が強く印象づけられたことの一つはインドから参加された新聞・出版関係者の烈々たる民族への誇りでした。国際会議場でのシンポジウム中に行われた質疑でも、「私は英語は得意でないから母国語でやらせてもらう」と宣言して問答を続行して大きな拍手を受ける一幕もありました。

 海外旅行の常として、私は和服でパーティー等に出席したのですが、大好評でありました。欧州の新聞社の役員は貴族階級の方も多いのですが、そういう貴婦人方から再三にわたって、一緒に写真撮影をしてくれるようていねいに依頼されました。「貴方のそのコスチュームは素晴らしい」との言葉もたくさんかけられました。ブラジルの新聞協会の会長からは、本年の開催地であるリオデジャネイロに必ずそのキモノで来てくれと頼まれました。

 しかし小生は気がついていました。インド人の皆さんは女性はサリーが当たり前になっていて、あまり珍しがられないということに。彼らは強いアイデンティティーを持っていて、ニューヨークだろうが、パリだろうがシンガポールだろうが、東京だろうがサリーを着用して出席します。まさにインド民族ここにありという存在主張を服装で行っているわけです。

 日本人とは何か、日本はどこへ行く、どこへ行くべきか、そういった事を念頭に置きつつ、事実の報道をする新聞社経営に努める所存でございます。読者の皆様、三重県民の皆様のご支援をお願いして年頭の挨拶とさせて頂きます。