十五年間社長を務めていただいた故小林正雄の後任として伊勢新聞社代表取締役に就任しました小林千三です。
伊勢新聞社の編集方針・経営方針・事業方針等につきましては今後、毎月読者の皆さまに報告させていただきます。
本日は前社長の死去という現実の前に私の死生観の一端を述べさせていただき、社長就任の挨拶に代えさせて頂きます。
北宗の詩人であり、唐宋八家の一人である蘇東坡の詩に「前赤壁の賦」があります。以下、詩についての解釈は、南山大学教授山本和義氏の卓越した論に負いました。読者各位おかれましては、あまりにも有名なこの詩文を掲載する冗長さを、若き読者のためにお許しください。
「前赤壁の賦」の後半は、「客」と「蘇子」(作中人物としての作者)との問答から成っています。江山風月を喜び酒を飲んで楽しむうち、客が洞簫(尺八用の笛)をいとも悲しげに奏してうたい、蘇子は居ずまいを正してその悲哀の故を問う。客は「赤壁」に導かれて「一世之雄」だった三国魏の曹操を語り、その希代の英雄すら今は世にないことを指摘して、自らについて次の如くに語る。
「況や吾や子と、江渚の上に漁樵し、漁鍜(ぎょか)を侶として麋鹿(びろく)を友とし、一葉の扁舟に駕して、匏樽(ほうそん)を挙げて持って相属し、蜉蝣(ふゆう)を天地に奇す、渺たる滄海の一粟なるをや。吾が生の須臾(しゅゆ)なるを哀しみ、長江の窮まり無きを羨む。飛仙を挟みて以て遨遊し、明月を抱きて長しえに終えんこと、驟かには得可からざるを知り、遺響を悲風に託せり」 客の語るところは、人間存在を至って微小なものと看做して、甚だ厭世的です。私には、蘇軾は客のことばに託して、中国中世の詩人たちが歌い続けてきた人生の短促を悲嘆する心をくくっているかに読めます。
蘇子はそれに反論する。即ち
「客も亦た夫の水と月とを知るか。逝く者は斯くの如くにして、而も未だ嘗て往かざるなり。盈虚(えいきょ)する者は彼の如くにして、而も卒に消長する莫きなり。蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も會ち以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者よりして之を観れば、會ち物と我と皆尽る無きなり。而るをまた何かをか羨まんや」。
親族の死に直面した者は人の世の儚さに気付き、万物の流転を嘆きます。蘇子は「天地の間に存在する『我』を含めての万物が永遠の運動の過程にあるとする、新たな知を提示する」。
万物の流転を嘆くのでなく、近代人としての知を持って生きることを論してくれているのがこの詩であるように私には思えます。
「論語」に「子 川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かす、と」とあります。
「川上之嘆」として知られる「論語」のこの一章は、流れゆく水を時間の流れを象徴するものと見て、万物の流転を嘆いたりするのが、中世の経学の解釈であります。
しかしそうでしょうか。近世の哲学名朱熹の解は万物を支配する原理が不断の運動であることを弟子たちに教え、その生活の在るべき姿を論さんとしたとしています。
「前赤壁の賦」における「客」と「蘇子」の問答に示された二つの考え方は、中国文学における「中世」と「近世」を蘇較自ら説いたものと読みとることが許されるでしょう。
蘇較は、人間存在を微小・短促なるものと看做して悲哀する「中世」的な在りように克って新たな「近世」の人の在りようを拓こうとしたのであります。
翻って世界の中の日本、日本の中の三重県をみれば、かつては愛知・三重・岐阜と称されていた三重の順位が、愛知・岐阜・三重と最下位に呼ばれるようになった郷土があります。国際化の流れの中で、大都市に地盤を置く大手企業の三重県における支店・営業所・店舗づくりの前に縮小・廃業に追い込まれる地場企業があります。後継者難の農林・水産業があります。
これらは流れゆく水の如くどうしようもないことなのでしょうか。
そうではありません。弊社は新聞社としての「知」をもって今後、三重県がいかに素晴らしく発展する可能性があるかを示し、進歩への道程を明らかにしていくことをお約束します。
特に南勢は世界屈指の発展を予言しておきます。
読者とおもに歩んできた百十九年、一層のご支援をお願い致します。