世界観として日本を見る。

 逃げ隠れできない砂漠で、ダチョウが外敵に追われると、砂の中に頭だけ突っ込む。それを見た他のダチョウたちは、ことごとく同様に砂の中に頭を突っ込む。しかし頭隠して尻隠さずで、大きな尻を丸出しにしたダチョウは順番に外敵に食べられていく。

 このダチョウの小話を、大東亜戦争後の日本に置き換えると、戦後64年間の日本の現代史が判り易くなります。

 わが社の政経懇話会40周年記念講演会は、田母神俊雄前航空幕僚長を講師に開催されました。たも氏と書いた方が楽なので以後こう記させてもらいますが、たも氏の話は私が漠然と、断片的に理解していたことを、具体的に事実を付きつけて語ってくれました。

 曰く、「郵政民営化」も「談合摘発」も「裁判員制度」も、米国政府の日本政府に対する「年次改革要望書」に沿った施策である。在日米国大使館のホームページに日本語で掲載されている。(自発的に行なったふりをしているだけである)

 曰く、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)を昭和21年から27年まで執拗に繰り返し繰り返し実行した。

 曰く、プログラムを浸透させるために「太平洋戦争史」を1945年12月8日からあらゆる日本の日刊新聞に連載させた。後に、10万部出版させ全国の学校に配布させた。

 「そこにはまず、『日本の軍国主義者』と『国民』とを対立させようとする意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった『軍国主義者』と『国民』との間にすり替えようとする底意が秘められている。」

 「大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、『軍国主義者』が悪かったから起こった災厄であって、実際に爆弾を落とした米国人には少しも悪いところはないということになるのである」江藤淳「閉ざされた言語空間」)文春文庫 による

 要は、日本はいまだに米国の占領状態にある半独立国であるという事実に目をそむけて、民主主義国家のぶりっこをしている、冒頭に述べたダチョウみたいな存在であるということを再確認してほしいということなのです。どこが政権を取ろうと同じ事です。このままでは。