人間と金との間には二種類の関係しかありません。
一つは消費です。金でもってモノやサービスとその場で交換するのです。カネの対価をその場で回収するのです。「貨幣で財や用役と交換する」と大学の経済学の授業で講義がありましたね。
もう一つの関係は投資です。これは対価の回収を将来行なうという行為です。土地を買う、建物を建てる、機械設備を買う、投資信託を購入する、株式を購入する、全て投資です。
投資である以上、いや投資であるが故に、不確実性が必然的に付いてきます。
不確実なのはなぜか。
現実と未来の間には厳然とした壁があります。未来は誰も予知できないからです。天災・戦争・航空機事故・自動車事故・伝染病の突然の大流行等々、国際的テロ、突発事件はいくらでもおきます。予知することは不可能です。
時間は直進すると言うのが文明人の観念であります。もっとも、人類の中では少数派の考え方らしいですが。輪廻(りんね)・転生(てんしょう)と言う考え方をしている民族、国家には、インドなどはその際たるものですが、直進する時間という観念は無いようです。
投資とは時間の壁に対する挑戦であります。挑戦する為に、各種の金融技術が編み出されました。ノーベル賞を獲得した金融工学もありました。しかしそれらは所詮、武芸者が殿様の前で披露する芸に過ぎないといっても過言ではないでしょう。ギミックというかトリックというか、目新しい仕掛けで、巨額の資金を投ずる恐怖を和らげるアート(技芸)なのです。オプション・デリバティブ・チャート等々では何も予知できないです。危険を100%回避することは不可能です。
矛盾(むじゅん)という故事熟語があります。いかなる盾(たて)をも貫く矛(ほこ)といかなる矛も防ぐ盾を売り歩く商人の話です。相場の売り手と買い手が金融工学を駆使したらどうなるのでしょうか。
それではなぜヒトは投資を、度重なる失敗の積み重ねにもかかわらず、するのでしょう。またこのインベストメント・レターの意義は何かということにもなるわけです。
ヒトが生きていく為には投資をすることが必要だからです。
釣りをする、キャッチボールをする、ゴルフをするということはやらずに済ませられます。
工場に投資すること、相場に投資することは筆者の見解では同等のことだと考えています。不確実な未来を見据えて、利益を得ようとするわけですから、共に危険は伴います。
人として生れてから出身地、進学、就職、結婚、子育て、老齢化等々、全て時間の壁との戦いなのです。誰もこの戦いから逃れることは出来ません。
粛々と投資していくしかないでしょう。