4月11日劇作家井上ひさしさんが亡くなりました。
私は30歳ごろに文藝春秋講演会を鈴鹿で企画して催行しました。
その時講師として派遣されてきたのが、井上さんと杉本苑子さんそして大江健三郎氏でした。
講演の後、四日市都ホテルのバーで懇親会があり、私は好き勝手にしゃべりました。
「小林さんはよく勉強している。今にたいした人になる」
と、講演会翌日に別の鈴鹿青年会議所会員に言ってくれたそうです。
(馬齢のみを重ねてお恥ずかしいき限りです)
4月にも、彼の作文教室における「作文の秘訣」を紹介したことがあります。
「作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけ」
「不幸にして日本の作家、学者の人たちのなかに、とくに学者は相当多く、作家はさすがに少ないんですが、
だれにでも書けることを、だれにもわからない文章で書いている人がいるんですね。」
(これは大江健三郎のことでもあります)
一方、大江氏は、当時あまり売れてなかったのですが、
滋賀県の招福楼へ向かう、私の運転する、(友達に借りてきた)真っ赤な日産プレジデントのなかで、
「喜劇作家は日本に少ないですから数十年したら、井上靖さんより井上ひさしさんのほうが文学史に残るかもしれませんよ」と語りました。
「招福楼は妾腹楼なんだ、と小林秀雄さんが教えてくれた」とも。
もう一つ井上さんの作文の戒めを書いておきます。
「書いたから終わったわけではない。読み手の胸に届いたときに、
自分の書いた文章は目的を達成し、そこで文章は終わるわけです。」