父が守った会社継ぐ − 宮原菜月さん


【「新しいことにもチャレンジしていきたい」と話す宮原社長=松阪市西黒部町のオートサービスミヤハラで】

 オートサービスミヤハラは、祖父が昭和27年に創業した。自動車の板金、塗装業として、現在はパートを含め5人の従業員を抱える。約2年半の闘病生活を経て、64歳で亡くなった父の跡を継ぎ、大学院卒業と同時の昨年3月、社長に就任した。「祖父と父が守ってきた会社を自分が守りたい。その気持ちが大きかった」
 もともと英語が好きで、将来は教師になりたかった。三重大教育学部で中学と高校の教諭免許状を取得し、さらにスキルアップのため大学院に進学した。思いがけない方向転換だったが、後悔はない。
 一人っ子で、両親の愛情を一身に受けて育った。中学から大学まで、毎日の松阪駅までの送り迎えは、いつも父がしてくれた。「無口な父とは車内であまり話すことはなかったが、大切な時間だった」。闘病中も父は「好きなことをやればいい」と優しく背中を押してくれ、会社も売るつもりだったという。
 会社を継ぐと決めたのは大学院2年になった頃。仕事を手伝ったこともなく、全く経験がない世界へ踏み込む不安もあったが、今は後悔はない。「子どもの時からかわいがってくれた従業員たちを守っていかなければ」。責任感の強さは昔から変わらない。
 がむしゃらにここまで来て、最近ようやく少し余裕が出てきた。黒色の作業用つなぎ姿も板についてきた。「周りの支えがなかったら、一人では何もできなかった」とほほ笑み「やらずに後悔するのは嫌。今までの経験を踏まえつつ、新しいことにもチャレンジしていきたい」と目を輝かせた。

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