東京五輪(2020年)の翌年、2021年に「第76回国民体育大会(三重とこわか国体)」が開催される。1975年に開催された第30回「みえ国体」以来、46年ぶりに三重県で国民体育大会が開催される。開催県としては当然、優勝に近い成績が期待される。
42年前、第30回「みえ国体」での三重県国体成年サッカーチームの成績は5位だったそうだ。その後は第39回、40回、51回共に5位。第30回以前の記録は残っていないようだ。
私は、そんな三重県国体成年サッカーチームの監督を2014年から任された。2014年に8年ぶりとなる東海予選突破を遂げたものの、本国体では3年連続1回戦を突破できずに悔しい結果となっている。なんとかこの流れを変えようと、三重県体育協会・三重県スポーツ推進局・三重県サッカー協会等々、各方面の方々と連携して5年後に向けた強化策に取り組みはじめている。
おそらく戦後70年の間で、三重県国体成年サッカーチームは本国体で優勝した実績は残せていないと考えられる。なぜなら、語り継がれる記憶も記録も見聞きしたことがないからである。
1991年、私が所属していた四日市中央工業高校サッカー部は先輩方が築き上げた伝統を胸に、第70回全国高校サッカー選手権大会決勝まで勝ち進んだ。相手は帝京高校(東京都代表)。延長戦の末、2対2の同点のまま両校で優勝を分け合った。今は跡形も無くなった旧国立競技場が6万人近くの観客で埋め尽くされた中で初優勝を味わうことができたが、単独優勝が目標の我々にとっては喜びが全く感じられない悔しい両校優勝であった。しかし、その記憶は三重県民にとってよほど鮮烈だったのか、いまだに「選手権決勝をテレビで応援していた!」と四半世紀前の記憶の話を興奮気味に投げかけられることがある。サッカーが人に与える感動の大きさを感じる瞬間である。
「三重とこわか国体までの間に、26年前の記憶に匹敵する興奮が三重県サッカーで味わえるに違いない。」と、期待するのは私だけではないはずである。