喜びを分かち合う瞬間を思い描いて

 10月14日、福井県の丸岡スポーツランドにて第53回全国社会人サッカー選手権大会一回戦が行われた。われわれFC伊勢志摩(リーグ戦績:3位8勝1分5敗20得点10失点)の相手は、九州リーグチャンピオンのテゲバジャーロ宮崎(リーグ戦績:1位18勝1分1敗70得点12失点)。

 テゲバジャーロ宮崎(以下宮崎)の監督は石崎信弘(いしざきのぶひろ/59歳)氏。Jリーグで最も多い監督指揮数(600試合以上)を誇る実績ある監督である。宮崎は、中心選手としてJリーグ通算50得点の実績を持つ森島康仁(もりしまやすひと/30歳)をセンターフォワードに配置している。森島選手は今季リーグ戦17試合で19得点を叩き出している。

 今大会の優勝候補と目されるチームにわれわれFC伊勢志摩は、互角以上の試合内容を披露したといえるものの、0―0で迎えた後半残り3分に中心選手の森島選手に得点され0―1で敗戦という結果になり、2年連続2回目となる全国大会は早々に終わった。

 われわれはディフェンス・ミッドフィルダー・フォワードと各ポジションの選手から計8本のシュートを放った。一方、宮崎は森島選手が一人で4本、フォワードで途中交代した2名の選手がそれぞれ1本ずつの計6本であった。シュート数はそれほど変わらないが「攻撃の厚み」という意味ではわれわれの方がさまざまなポジションから攻撃を試みていたことが記録からも読み取れる。

 ただ、森島選手の4本のシュートのうち得点された1本のみ「寄せが緩く」考える時間を与えてしまった。相手にとっての一回の決定機を確実に決められてしまった点が今後の課題だと考えている。

 来季以降に向けてわれわれが取り組まなければならないことは、①普段のリーグ戦でも全国大会でも決定的な仕事のできる実績ある選手の獲得、②Jリーグ経験者で所属選手全体の25%以上を占めるようなチーム構成、③チーム運営を中長期的な視点から考えられるような資金調達の仕組みと組織体制(運営組織・後援組織)の構築、④その他長期的視野でみると、サッカー観戦が楽しめるスタジアムを確保し、サッカーに馴染みの少ない方にも会場へ来ていただき、余暇を楽しむ空間にすること―等である。

 ①②は短期に結果を出すために必要と考えられる取り組みである。このような取り組みや目標を掲げると、勝利至上主義として捉えられることもある。しかし、チーム創設からわれわれの過去5年間の活動は決して結果のみを追い求めたものではなく、むしろ地域との触れ合いに重きを置いてきた。現に地域での活動として、年間200回を超えるサッカー教室や地元イベントへの参加などの活動を実施している。そのかいがあってか、試合の宣伝を大して行っていないにもかかわらず、昨年は千人近い方々に試合会場へ足を運んでいただいたこともあった。これらの活動をさらに活発にし、永続的な形で継続するためにも、6年目を迎える来季は結果を出すことが大切だと考えている。

 今回でこのコラムは最終回となる。このコラムを通じて私が読者の皆さまに主張したかったのは、サッカーをはじめとするスポーツを通じてもっと心豊かに暮らせる三重県にできないか、という点であった。テレビの世界では実感できるような「共鳴の連鎖」を普段の生活に作れないか。つまり、スポーツというツールを通じて日常生活の中に、何が起こるか分からない心踊るドラマや心温まる人間模様を目の当たりにできないか。親子で共通のチームを応援し、夫婦や恋人同士で抱き合って喜んでみたり、見ず知らずの他人と肩を抱き合って歌ってみたり、泣いてみたり。そのような場面が日々の生活の中にあってもいいのではないか。

 おじいちゃん・おばあちゃんが孫に解説してもらったり、その孫が10年後にエースとして活躍したりすれば地域全体で喜び合う。このようにサッカーを通じて、日々のストレスを発散したり高揚感に浸ったりしながら、地域の中でクラブが育てられ、語り継がれるような歴史が積み上げられ、結果として地域になくてはならない存在になっていく。

 私ができることはそのような流れを作り出すきっかけ作りだと捉えている。つまり、そのような空間・瞬間を「一緒に作ろう」と呼び掛け、実現できるよう、共に動く仲間を集めることだ。その全てが初めての試みで、これまで長い間地域で作り上げられてきた仕組みや繋がりを、少し変えなければ実現できないことも多々ある。焦らずじっくりと理解者を増やしていきたい。10年・20年先に喜びを分かち合う瞬間を思い描いて。

 ご愛読いただき、ありがとうございました。

(終わり)

中田一三
中田一三

なかたいちぞう 1973年4月生まれ。伊賀市出身。四日市中央工業高時代に、全国高校サッカー選手権大会に3年連続出場。92年1月の大会では同校初優勝をもたらし、優秀選手に選ばれた。中西永輔、小倉隆史両氏と並び「四中工の三羽烏」と称された。プロサッカー選手として通算194試合に出場。現在三重県国体成年男子サッカー監督。