<三重と古事記>機知に富んだ采女
ヤマトタケルの時代からずっと下った五世紀後半、三重の采女(うねめ)と呼ばれる女性がいて、オホハツセワカタケル(大長谷若建命)の宮廷に仕えていた。ワカタケルという […続きを読む]
ヤマトタケルの時代からずっと下った五世紀後半、三重の采女(うねめ)と呼ばれる女性がいて、オホハツセワカタケル(大長谷若建命)の宮廷に仕えていた。ワカタケルという […続きを読む]
三重の地を発ったヤマトタケルは能煩野(のぼの)(日本書紀は能褒野)に到り、そこが終焉の地になったと古事記も日本書紀も伝えている。ところが、その臨終の描き方はまっ […続きを読む]
父であるオホタラシヒコ(景行天皇)に命じられて遠征に出たヤマトタケル(倭建命)は、伊勢斎宮であったヤマトヒメ(倭比売尊)から草薙剣と袋を授かり、尾張から焼津・走 […続きを読む]
熊野市有馬町の海岸に花窟(はなのいわや)神社がある。神社と言っても神殿はなく、熊野灘に突き出た岬の先端の岩塊を御神体として、イザナミ(伊弉冉尊)が祀られている。 […続きを読む]
サルタビコは正体がよくわからない。今や珈琲のブランドが有名だが、サルタビコを祀る神社は全国で2000社を超えるという。一般的にサルタヒコ(猿田彦神)と呼ばれてい […続きを読む]
倭(やまと)から伊勢へと神鏡とともに巡ったと『日本書紀』に語られていたヤマトヒメは、アマテラス(天照大御神)に仕える巫女として古事記にも登場する。いわゆる伊勢斎 […続きを読む]
奈良県との境の津市美杉町に生まれ育ったというご縁により、今回から何度かにわたって、古事記に出てくる三重にゆかりの神話や伝承を紹介させていただくことになった。と […続きを読む]
Copyright © 2024 | The Ise Shimbun, All Rights Reserved. 伊勢新聞社のホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。