▼刀剣が美術品として価値を持ち始めたのは、戦争が刀の時代ではなくなってからと言われる。徳川幕府から村正が忌み嫌われたとされるように、何人も殺した道具だとしたら、どんなにその目的を果たしやすいデザインだとしても、親しみを感じることはあるまい
▼文化というのはそのようなものに違いない。上げ馬神事も、その発祥はともかく、馬術が武士ら必須のたしなみだったり、農耕の道具として酷使した時代とは変わってきて当然。生々しい現実社会を投影するより、象徴的な非現実社会を創出するのが長く伝えるのに欠かせないのではないか。女性を土俵に上げるかどうかで女性官房長官と対立した大相撲だが、土俵の四本柱を廃止して今の赤房、青房など四つの房にしたのは昭和27年。衝突して危険なことが理由の一つという
▼「動物虐待」とネット中心に批判を浴びた県無形民俗文化財、多度大社の上げ馬神事が、馬が飛び越える土壁を半分の高さにするなどの改善策を県に提出した。馬が駆け上がる坂の傾斜も緩やかになる。12年前は、馬を興奮させるために蹴ったり、酒を飲ませて、動物愛護に反すると書類送検された。今回は骨折した馬を安楽死させて動物虐待の非難が殺到した
▼時世時節である。歴史的及び文化的価値を彷彿させるよういかに昇華させて非現実社会を演出していくかが求められよう。改善策に、末永く存続させる工夫がどれほどこらされているかは分からない。かつて馬の奉納が絵馬に切り替えられたように、現実と非現実との間で、不断の検討を重ねていかなければなるまい。