▼副知事経験者を相手に、平成7年知事選挙で1万票差の激戦を制した北川正恭氏は県を「県庁集票マシン」と呼んだ。その中心にいた幹部の一人は、直後の人事で次長級から重要ポストの部長級に昇格。辞令交付式で、元気のいい返事と直角に腰を曲げて辞令を受け取る様子が、しばらく苦笑まじりに語られた
▼〝黒船〟と呼ばれた改革派知事の登場で庁内は震え上がったが、北川氏は「選挙は別物」として、引きずることを好まなかった。報復人事はなかったが、「どうなっているんだ」という怒りの声はあった。中立を維持し「(選挙後の)居場所はないから覚悟しておけ、と言われた。そう脅した本人が昇格だなんて」
▼かつては辞職して候補者に将来を賭ける職員もいたし、敗れた側だった出納長(現副知事格)が、新任知事に廊下ですれ違いざま辞表を投げつけたりした。し烈な戦いの後に、ノーサイドなどと言って相手陣営を優遇するなどとんでもない話で、市町村長選挙ではそのために首長派がぎくしゃくしてしまうこともあった
▼「筆頭部長が翌日清掃車に乗っていた例もある。1期目は仕方ないが、2期目も報復人事を継続するのは許せない」というのが、2派の対立が激しかったころの鈴鹿市で、反主流派の動きが活発になった
▼自民党の岸田文雄新総裁が党役員人事、その後の閣僚人事で、対立候補の応援派閥を徹底的に排除した。看板の「聞く力」が誰の声かも人事はあらわにした
▼世界はドイツのメルケル首相退任に注目し信念の人、人格者の評価が高い。思えば日本にそう呼ばれた指導者はいない。