▼議会は何でもあり、というのがかつて担当した時の印象だ。強引あるいは理不尽と感じた審議の進め方や決定は数知れず。憲法や地方自治法の精神に照らしていかがなものかと自治省(当時)に問い合わせたことが数回あったが、教えられたのは議会が決めたことは大概認められる。仮に誤りがあったとしても、正すのは法ではなく、有権者の審判、すなわち選挙ということだった
▼だから、県議定数と45に減らす条例を制定し、一度も選挙をしないまま元の51に戻したことにも驚かない。あきれ、こんなぶざまなことを県民の前にむき出しにさらした〝政治力〟の衰えを実感しただけである。再び、選挙区、定数の改定を協議する時期がやってきた
▼元のもくあみにした前回の経緯がよみがえり、真剣に考えるには努力がいるが、ともあれ「政治力の衰え」はさらに実感させられる。改正案で焦点となる選挙区の3市長が、文書を議会に提出して反対の意思を表明するなど、これまでになかったことではないか
▼うち岡本栄伊賀市長の反対意見に日沖正信議長は「県議などを通じて積極的に地元の意見を賜りたい」。そうであるべき本来の姿が機能していないことを浮き彫りにしたとも言える。パブリックコメント(意見公募)での意見吸収にも言及したが、正副議長案には反映されなかった。県議の異論は「収拾がつかなくなる」の理由で修正に応じていない
▼まとめるのに何でもありが議会であろう。問題になる選挙区の議員や首長ぐらいは何としてもねじふせ異論を封じ込めた往年の剛腕ぶりが懐かしい気がする。