国民民主党県連が、次期衆院選に三重県内から出馬予定の立憲民主党の4候補予定者に対し、推薦を出すかどうか結論を保留している。国民県連の金森正代表は「時間をかけて検討したい」としているが、内実は推薦に慎重な意見が根強い。党同士の協力体制がまだ決定していないなどが表向きの見解だが、背景には長年にわたる立民側への不信感といった感情論もくすぶる。一方、立民側も弱小所帯の国民県連からの支援というより、国民支持の電力や自動車といった産別労組の支援が欲しいというのが本音と見られる。「政治は怨念」(元国会議員)という。かつて野党が一丸となって自民に対峙する「三重県方式」が隆盛を誇った三重だが、転換点を迎えている。
国民県連の不信感は設立当初にさかのぼる。もともと、設立に反対する一部国会議員がいる中で、旧民進党県連の流れをくむ後継組織として、資金を含めた受け皿団体が必要となり、平成30年5月に設立した。
関係者は当時、別の国会議員が放ったという一言を覚えている。「(県連を)ただ設立するだけでいい。何もしなくていいです」。
県内では旧民進党分裂後、再結集を図るために岡田克也衆院議員らが無所属で活動していた。関係者は「県内に余計な政党が存在することは好ましくないが、さりとて(国民県連を)設けないわけにもいかない。ひっそりと目立たず、存在だけすればいいという思惑だった」とする。
国会議員の中では、芝博一参院議員がひと足先に立民入りし、31年2月に同県連が発足した。一方、国民県連は所属する地方議員がわずか数人。勢力の差は歴然となっていた。
ただ、誤算だったのは「ペーパーカンパニー」として設立された国民県連が独自に活動し始めたこと。「小さい組織だが、支援労組の活動もある。公党としての責任を果たそう」(県連関係者)とサポーター集めなども行い、30年秋には設立総会を四日市市内のホテルで開催する予定だった。が、ここでも妨害にあい、いったん中止するという事態に至った。「県連の存在を隠そうとする『言論封じ事件』」だとして、憤る関係者も少なくない。
国民県連が見せた予想外の反骨は、昨年秋の旧立民、旧国民の合流問題で結実する。立民側からの再三の呼びかけにもかかわらず合流を拒否。「政策や理念の一致もない、数合わせの安易な合流にはくみしない」として、独自路線を歩むことを選んだ。
とはいえ、岡田氏や芝氏、中川正春衆院議員ら国会議員3氏がすべて立民入りしている状況にあって、県内勢力図には大きな開きがある。国民県連側は「(立民側が)ほしいのは国民の推薦というより、産別労組の支援だろう」(関係者)と見る。現に令和元年7月の参院選で、県内比例得票数は立民約12万票に対し、国民が約9万票を集めた。「全国で6番目の集票で、党本部でも評価された」とする。
立民候補予定者への推薦については、「産別労組の意見を十分に聞きながら、時間をかけて検討したい」(金森代表)との考えだ。一方、産別労組は支援について、国民県連に一任するとの意向という。国民県連が恩しゅうを超えて野党共闘するのか、独自路線を進むのか、岐路に立っている。
立民県連の関係者は「自民一強政治に終止符を打つには野党の協力が不可欠だ」と指摘する。「すでに連合三重も推薦しており、産別、国民ともにすっきりした形で協力してほしい」と融和を呼びかけている。
一方、野党共闘自体、「失敗し続けているシステム」と批判する声もある。国民が参院長野補選で、共産党と協力関係を結んだ候補者について、撤回の意向を表明しながらも、最終的には推薦を維持した。これについて、元国会議員は「二流のジェスチャーだ」と一刀両断する。「野党が一致団結しなければ結局自民を利するという意見もあるが、選挙目当ての打算的な協力を国民は見透かしている。安易な野党共闘こそ、自民を利する」としている。