2020年11月23日(月)

▼北川正恭元三重県知事に「風見鶏」の異名があった。「そう呼ばれるんだよなあ」とぶぜんとして言ったことがある

▼足は固定し内外の状況によって上体だけ動かす。「政治として当たり前。風見鶏というのは悪くない」と同じ異名の中曽根康弘元総理が言ったのは晩年になってから。北川元知事の風を見る目に感心したのは平成7年の知事選前だ。新党さきがけ(当時)の推薦決定に「これは大きい」と目を輝かした

▼同党員など県内にいないが「自社さ政権(同)の一角が崩れた」と続けた。県庁集票マシンという選挙期間中の攻撃から一転し、就任後は「県職員の能力は国に劣らない」と言っていたが「限界があるんだよなあ」とぽつんと言ったことがある

▼「未経験分野もあり、何もかもは無理。外部導入の道を切り開かなければ」。提唱していた「電子県庁」の責任者として参与を外部登用し、このことかと思い当たった。新党さきがけの支援で横浜市長選に出馬し、落選して浪人中の元自治省官僚。電子自治体の著書もあったが「借りを返した」というのが庁内評。人ありきだというのである

▼特別職の参与から一般職の部長に切り替え強い批判も起きた。伊勢市との関わりが深く、同市長選出馬や業者との癒着が取りざたされたが、突然辞任した。「本人の希望で、私も驚いた」と北川元知事。のち四国の大学に就職したと聞いた時は「その方が向いているんじゃないか」

▼鈴木英敬知事は「県版デジタル庁」を目指してデジタル社会推進局(仮称)の設置を議会で表明した。トップは外部招聘の方針で人選中という。