2019年1月8日(火)

▼市町の仕事始めのあいさつで、竹上真人松阪市長の話がおもしろかった。ひところ不祥事が絶えなかった同市職員に向かって「失敗したら責任は私が取る」と言ったようなことではない。「昨日と一緒の仕事はやめよう」「今やっている仕事に疑問を持て」と、考えることを促したからだ

▼人はとうに考える葦ではなくなった、と言ったのは佐藤愛子さんだが、東大に比べて、京大の方が精神を病む学生が多いと言ったのは森毅京都大学名誉教授(故人)である。理由は自由な校風。東大は官僚養成所としてのルートができあがっているが、何事も自分で考えなければならない京大は学生を予想以上に苦しめるというのだ

▼精神うんぬんはともかく、落ちこぼれは増えるのかもしれない。ノーベル賞受賞者で大きく差をつける、必然的負の側面と言えようか。パスカルは「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と言って、思考する存在としての人間の偉大さを言い表したが、思考する存在ではなくなったというのが佐藤さんの警句であろう

▼考える苦しみを回避し、エスカレーターに乗る楽な道を選ぶタイプばかりということか。かつて小市民的などとやゆされた生き方という後ろめたさの記憶が、その裏返しとしてそうではない人を「自己責任」などと、過激に非難する自己弁護につながっていくのかもしれないが、それはまた別な話

▼公務員と言えば、安定を求める志望者が多いとされる職業。おかしな職員がまたぞろ出てきはしないかと、ちょっと気になりもしたことである。