三重県名張市で江戸時代前期から続く伝統行事「名張秋祭り」が存亡の機に立たされている。祭りの中心的な役割を担うみこしの担ぎ手らが、主催者側の一部から祝儀の着服という「あらぬ疑い」を掛けられて憤慨。10月下旬の開催を目前に、みこしの巡行を辞退したというのだ。主催者側は担ぎ手らを再三にわたって説得するも、和解の糸口はつかめず。「みこしの担ぎ手がいなければ祭りは成り立たない」と開催の可否を決めかねている。
名張秋祭りは、藤堂高虎の養子で名張藤堂家の祖とされる高吉が約350年前に始めたと伝わる。高吉が年に一度だけ、民衆が武士の格好をすることを許したことが起源といい、現在は10月の最終土曜に宵宮、翌日の日曜に本祭が開かれている。
祭りの中心は、みこしの巡行。はっぴ姿の男衆が「チョーサ、チョーサ」の掛け声で、みこしを担ぐ。宇流冨志禰神社に到着すると五穀豊穣などを祈願する。周辺の八町は太鼓や獅子舞で盛り上げ、地元の子どもらはかみしも姿でみこしと共に練り歩く。
長年にわたって市民から親しまれてきたが、今年は関係者の間で開催が危ぶまれている。祭りを取り仕切る「奉斉会」の役員の一部が「担ぎ手らがみこしに投げ込まれる祝儀を着服しているのでは」という「疑惑」を抱き、うわさとして流れたからだ。
「みこしに集まる住民からの祝儀が、太鼓などを催している他の組織よりも少ない」というのが「疑惑」の根拠だったそうだが、奉斉会が担ぎ手らを追及したわけではない。先月中旬ごろ、うわさが担ぎ手らの耳に入ったことが事態の紛糾を招いた。
みこしを担いでいるのは、30人ほどの若手男性らでつくる「藤の木会」と呼ばれるグループ。「うわさは全くのでたらめだ」と憤慨して今月上旬、みこしの巡行を辞退すると奉斉会に申し出た。祝儀の管理もしていたが、帳簿や通帳なども神社に返納した。
藤の木会の会長を務めるのは森脇和德市議。取材に「祝儀は複数のメンバーで封筒を開けて金額を確認している。着服などあるわけがない。伝統を守るために無償で奉仕してきたのに、こんな疑惑を持たれていたと思うとばからしくて仕方がない」と肩を落とす。
奉斉会は藤の木会を再三にわたって説得している。ただ、奉斉会の役員らが面談で「無理なら他の担ぎ手を紹介してくれ」「メンバーをまとめるのが市議の仕事だろ」と話したことが森脇氏を逆上させたといい、藤の木会が説得に応じる気配はなさそうだ。
奉斉会の山田朝則会長は取材に「うわさがあることを知ったのは最近。全くの臆測で、うわさをしていた役員らを注意した」と説明。「みこしを巡行させなければ伝統ある行事は続けられない。祭りを実施するかは今のところ判断できない」と話す。
この騒動は今のところ、関係者以外には知られていないようだ。市観光協会は「祭りは例年通り実施すると聞いている」と説明。市は全国紙の地域版に掲載した広告で祭りの開催を告知している。市観光交流室は「存亡の機」に「初耳だ」と驚きを隠さなかった。
祭りは今年も開かれるのか。宇流冨志禰神社の中森孝栄宮司は取材に「祭りは今年も開催する」と言い張ったが、騒動の詳細を尋ねると「そんなことは起きていない」と否定。「担ぎ手らが怒っているが」と質問すると「取材には答えられない」と突っぱねた。