2018年1月4日(木)

▼元鈴鹿市長の衣斐賢譲氏の自殺を疑わせる本紙の死亡記事は事実だけが淡々と書かれていた。語り継ぐほどのことではないが、会社の浮沈をかけて最高裁まで争った過去が四半世紀の歳月で風化していくのを目の当たりにし、感慨深い

▼自殺の手段で列車への飛び込みは関係者に一番迷惑をかけるといわれる。係争は、市長批判の「怪文書」を本紙が書いてはならないとする仮処分申請を衣斐氏から出されたことで始まった。おかしな裁判官が一部を認めたため、書く気などさらさらなかったが、受けて立たざるを得なくなった。これについて書けと言われることと同様、これを書くなと他人に言われ、報道機関として従うわけにはいかない

▼たかが怪文書を本紙に書くなと訴え出る以上、不都合な真実があるのではないか。そう考えて取材した結果分かったのは、市長公室長が採用試験受験者に対する国会議員ら政治家や有力者からの採用要請をリストにし、市長との距離でランク付けしていたことだ

▼筆記試験1~3位が不採用で、当落ライン以下が点数を改ざんして上位に押し上げられていた。採用要請者のリストに「県庁秘書課」があったのは衝撃。不採用の上位3人が県警の採用試験に合格していたのはおかしかった

▼検察官が情実採用を認める職員の供述を翻させようとした。国会、県会議員名義の政治団体を操ったり、架空の駅前開発構想で収入役(当時)の土地と市有地とを等価交換したり

▼立法・行政・司法の三権の今につながる表裏が見える体験に反面教師として今は感謝。立場が逆の気もするが、合掌。