▼「戦後政治の総決算」と言って国鉄、電電公社、専売公社の民営化などのいわゆる中曽根改革を進めた中曽根康弘元首相は第2次臨時行政調査会(第2次臨調)はじめ各種調査会や審議会、委員会などを活用したことで知られる。「専門家の答申である」を“錦の御旗”に国会などの異論を押し切っていった
▼結論をうやむやにしたり先延ばしするのが役目のようだった諮問機関が以来、政治・行政の推進機関として多用される。県立大学設立の可能性を巡って知事の交代で真逆の答申になったことでもその性格は分かろうというもので、コロナ禍で設けられた専門家機関が内閣との間でしばしば意見が対立、協調し、いずれも内閣案が優先されたことも、役割を物語るものだろう
▼議員定数を審議するため、松阪市議会が設置した「議員定数等の在り方調査会」が「一つの結論を下す結果には至らなかった」として「現状維持の28人から4人減の24人までが妥当」と玉虫色の提言を出した。4回開いた会合のうち3回目で「現状維持」で一致したが、市住民自治協議会連合会の“異議申し立て”で変更になったという
▼議会の本質論を掘り下げるでもなく「単に譲歩して終わった」(本紙「まる見えリポート」)。議員らは「そんたくが働いたのかな」「何かの圧力」「結論を一つだけで出してほしかった」。議員定数を決めることが「いかに難しいかまじまじと感じる」とも
▼これら見方は調査会の本質をうまく突いていよう。議会が4人減の結論を出すのに大いに貢献した。