▼田尻宗昭は昭和43年、四日市海上保安部警備救難課長に赴任し、大企業の四日市港への工場排水垂れ流しを摘発し日本で初めて刑事責任を追及。「公害Gメン」と呼ばれた。著書『四日市・死の海と闘う』には県の公害行政に対する不信がつづられている
▼知事は環境問題に責任を持つ一方で地域振興の成果を上げなければならない。二足のわらじでどこまで公害撲滅が徹底できるか、というのである。のち四日市ぜんそくの対応などに県の最前線で奔走した竹内源一に『官僚の生き方・私の“公僕”人生』の著書がある
▼工場排水垂れ流し事件で2人は接触したが、指導を求める竹内に、田尻はけんもほろろに応対したらしい。上級官庁を鼻先にぶらさげて、と竹内は口を極めて悪態をついている
▼行政機構間の慣例は部外者には分からないことが多いに違いない。一見勝之知事の言動に関する相談が県の「ハラスメント相談窓口」に寄せられた問題で、公益通報には該当しないとしていた県が第三者による外部委員を選任し、客観的な調査を進めることした
▼県の各種委員や代理人をしばしば務めるメンバーが含まれているのには少し首をかしげたくなるが、対応が前進したのは喜ばしい。一見知事については当初、上から目線の言動が取りざたされた。「知事の資質に欠ける」「知事レクがスケジュール通りに進まない」などの相談内容に通じるものがあるが、具体的事例はないようでもある。かつては悪態で済んだのがいまやハラスメントになるとすると、時世時節ではある。