伊勢新聞

2025年1月17日(金)

▼前年の破魔矢やお守りを持って15日に一、二の津市の神社を回ったことがある。どんど焼きでたき上げてもらおうと思ったのだが、いずれも炎が見えず、静かだったのに拍子抜けした。しめ縄を焼くのは7日までという立て札があった神社もあり、年中行事も地域や時代によって変わっていくのだと認識を新たにした

▼昔は小正月(15日)までとされていた松の内も、今は地域によって違うらしい。そうなった有力な一説がおもしろい。徳川3代将軍家光が死んだのが慶安4年4月20日で、20日は月命日。1月20日は鏡開きの日だが、月命日に無病息災を願うのは恐れ多いと日にちを繰り上げるようになり、関連行事も繰り上がり、特に将軍のお膝元の関東中心に松の内は7日までとするところが増えて、地方とのギャップが生じてきたというのである

▼どんど焼きは、正月飾りを目印にやってきた年神様を、正月飾りを燃やした煙とともに見送るのが起源で、平安時代の宮中行事、左義長が民間に広がったといわれる。正月期間が変われば日にちも変わる。尾鷲市北浦町の尾鷲神社で「どんど焼き神事」が15日に開かれたというので、古い友人に出会ったようで懐かしかった。燃え上がる炎の写真も、脳裏に刻まれたイメージと同じだ

▼各家庭の鏡餅を焼いて食べ、甘酒が振る舞われて、たき火の前で温まりながら味わったという。鏡開きと一体になったということか。加藤守朗宮司が「正月が過ぎて最初の神事」と話した。成人の日がハッピーマンデーで不定日となり、小正月への思いも変わりつつあるのだろう。