▼省庁統合で平成13年に設立された厚生労働省で、旧厚生省の児童福祉部門と同労働省の女性部門が一つに統合され、毎日火花を散らす議論が繰り返されたと村木厚子元厚労省事務次官が書いていた。児童福祉か、女性の権利かで、施策がことごとく対立した
▼やがて互いに歩み寄り、おのずと一つの方向にまとまっていくようになったというのが村木さんの結論だが、その後、同課は再び二つに分かれたという。「親を蹴飛ばしてでも私たちは自分の命を守らなければならない」と言ったのは脳性マヒの患者団体の関係者だったか。固い愛情で結ばれている親子ばかりではない
▼家族を社会の最小の構成単位としてきた日本人には分かりにくい、あるいは認めたくない考え方だろう。県児童相談所も、虐待児童らを家庭に戻すことを最終的な最善策としてきてしばしば悲劇を生んだ。こども家庭庁も、名称は一時、親から虐待を受けて育った人の要望を受けて「こども庁」で検討されたが、子育てに家庭の支えが不可欠とされ「こども家庭庁」に定まった
▼県は「子ども条例」の改正案を県議会常任委に示した。名称は「子ども基本条例」に改める方向でパブリックコメント(意見公募)に臨んだが、寄せられた指摘を踏まえ現行と同じ「子ども条例」にしたという。どういう指摘だったのか
▼改正案は「子どもの権利を守ることを正面から捉える」として権利保障を前面に掲げる。子どもは大人の保護下にあるという考え方になじんだ向きにはいささか違和感があったのかもしれない。