岡本氏に初めて会ったのは、平成22年の春ごろだっただろうか。駆け出しの記者は伊賀に赴任したばかり。当時、まだアナウンサーだった岡本氏は旧市役所の保存運動にいそしんでいた。
初めて出馬した市長選では対抗馬の元市幹部を相手に苦戦すると見込まれるも、結果は大差で勝利。会場に入りきらないほどの聴衆が集まった演説会は、岡本市政の活気ある船出を予感させた。
就任後は公約通り旧庁舎を保存し、財政健全化にも努めたが、議会とはたびたび対立。市が土地を高額で借り上げた〝疑惑〟が浮上したことも。その3期12年には「功罪」があっただろう。
一方、持ち前のユニークさは保ち続けていたと思う。ことあるごとに県庁の記者クラブに立ち寄り、県政に異動した記者に市政を生き生きと説く姿は「気さくな市長だ」と周囲を驚かせた。
そんな岡本市長が「対話がなくなった」と、批判の矛先になる選挙戦は信じがたい光景だった。対抗馬を「ポピュリズム(大衆迎合)だ」とやゆする岡本氏に納得してしまう時さえあった。
ただ、3期12年もたてば批判票が増えることは避けられない。その間に岡本氏の支持者らも年を重ね、今回は選挙の体制も十分には整っていなかった。落選は必然だったのかもしれない。
そんな岡本氏は伊賀の文化や歴史の知見で目を見張るものがある。アナウンサー時代から「伊賀は関西」の運動も手がけてきた。今後も市長時代の経験を生かし、市の発展に尽くしてほしい。
そして稲森氏。彼と初めて会ったのも、岡本氏と同じ頃だった。「新人さんですよね」。どこかで記者の赴任を聞きつけたようで「議員さん側からあいさつに来た」と驚いたのを覚えている。
彼の存在は、記者が抱いていた議員のイメージを覆した。どう追及すれば行政が動くのか、何を言えば記事になるのかを熟知していた。いや、そうなろうと懸命に学び、成長し続けていた。
その姿勢には記者も感化された。本紙の独自ネタを元に一般質問や住民監査請求に臨む姿は、報道が社会に影響を与えることを実感させた。貴重な経験をさせてもらったと思っている。
記者が伊賀から異動したことで関係は一時的に途絶えたが、県政に異動した頃に稲森氏が県議選で当選。県議会議事堂で〝再開〟したとき、彼の立ち居振る舞いには一層の磨きがかかっていた。
特に成長を感じたのは選挙活動。全国各地で仲間の選挙に携わったたまものだろう。自らの選挙区で定数が削減されつつもトップで再選した前回の県議選でも、その力は存分に発揮された。
その稲森氏が市長選に出馬すると聞いたとき、賛同できなかった。行政を追及する側と担う側では、求められる資質が異なる。彼の長所は一転して短所になりかねないと感じたからだ。
結果は予想通り当選したが、圧勝を飾った岡本氏の初当選時とは少し異なる。6人が出馬したとはいえ、稲森氏の得票は有効投票の約3・5割。過去の市長選で岡本氏が得た票より少ない。
稲森氏には味方が多い一方で〝敵〟が多いのも事実。県当局に鋭く切り込んだ県議時代は「稲森先生だけには手を焼く」と困る職員も多かった。自民系が多くを占める市議会も待ち受ける。
稲森氏が市長として個性を発揮すれば強い反発が予想される一方で、その個性をしまい込めば市政のかじ取りを託した有権者を裏切ることになりかねない。難しい立ち回りが求めれられる。
彼の政治家人生を長年にわたって近くで見続けてきた記者としては、先々が不安でならない。当選を祝うのは、有権者が「選んで良かった」と思える日が来てからとしよう。(海住真之)