▼吉川英治の『三国志』に、劉備玄徳が三国の一つ、蜀に入る場面をこう表している。蜀の有志らが蜀の立て直しを劉備に要請。蜀は上下とも人物が枯渇して、国を手に入れることは赤子の手をひねるようなものだと口説いた。実際に入ると多士済々。無名に近かった人々の抵抗にあぐねることになる
▼国の大事となると、それまで地味に暮らしていた人々も表舞台に登場してくると言われる。伊賀市長選はどうか。東京都知事選挙ほどではないが、首長選に6人が立候補するのは県内では異例ではないか。本紙企画「まるみえリポート」も4月に始まり8月まで、次々に名乗りをあげる立候補予定者に戸惑いを見せながら、結果は「予測しづらい」状況とし、得票数によっては「再選挙」もあると指摘する
▼都知事選のような首をかしげたくなる候補者はいないということである。第一声の記事をみても各候補、それぞれの視点で地域への思いが垣間見える。蜀入りする劉備に対する蜀人の反応を思わせる。先の衆院選の多党化の流れを継承しているようでもある
▼かつて伊賀地域は、国会議員を多数輩出させたことで知られる。政治への熱がたぎっていた。小選挙区となり、区割りが変更され、そんな熱は徐々にそぎ落とされて平準化が進んだが、ほとぼりは市長選に健在で、頼もしい限りではある
▼新人は当然ながら現市政への不満に口を極める。現職は新人を大衆迎合、単なるパフォーマンスなどと決めつけ「任せられない」と真っ向から受けて立つ。議論の深掘りを期待したい。