三重県職員を経て弁護士になり約40年。県地方労働委員会(現・県労働委員会)の会長代理として数々の労使紛争の解決に尽力した功績での受章を「身に余る光栄」と喜ぶ。
原点は高校時代。四日市公害の報道に「若かったので社会正義に燃えていた。役に立つ仕事をしたいと思った」。大学院法学研究科を修了したが「長男なので父親に『早く帰ってこい』と言われて」県に入庁。「よりステップアップし社会貢献したい」と働きながら司法試験の勉強をし、28歳で合格した。
10年にわたり携わった労働委員会では、多くの労働争議がある中、あっせんや仲裁に力を尽くした。「労働者側と経営者側の言い分を聞いて妥協点を見いだす。大事なのは短期に集中して早く解決することだと学んだ」と振り返る。
鉄道、バス、病院など公益事業のストライキの通告があればその間自分の仕事は二の次。夜中まであっせんに入りストを回避した当時を「大変ありがたい経験だった。その後の仕事に生かされている」と語る。
裁判や事件を扱う「実践」と「研究」、後輩を育てる「教育」を3本柱と位置づける。現在自身の事務所では20―70代まで27人の弁護士が相談に応じる。特許、遺言、成年後見など幅広い分野に対応できるよう、職員には弁理士や社会福祉士など他士業の資格取得を勧め、必要な学費や時間の融通などで支援を図っている。
自身医学博士で税理士でもあるオールラウンダー。「まだまだ発展途上。若い人と一緒に社会貢献し、三重の地でワンストップのリーガルサービスを目指します」。
〈略歴〉亀山市出身。名古屋大院法学研究科修士課程修了後昭和55年三重県庁に入庁し同58年3月まで公務に従事。昭和60年弁護士登録し平成4年楠井法律事務所設立。平成6年から県地方労働委員会委員、同8―16年同会長代理。