伊勢新聞

2024年9月22日(日)

▼三重県の幹部に赴任してくる国のキャリアを部下として支えることを、昔の県職員は「水をかぶる」と表現した。「一度はかぶるが、二度は嫌だぜ」という具合。奥の院のやりとりはうかがい知れぬが、好かれてはいなかったようだ

▼総務部長に大蔵省(当時)出向者が続いていたころ、人事や内政面を仕切るのは総務部次長が慣例となり“城代家老”と呼ばれた。財政を仕切る総務部長と暗黙の役割分担ができていたが、納得しない総務部長もいて、火花を散らして部外に漏れることもある。「部長と次長の仲がよくないようで」と記者会見で質問が出て、知事が「互いの個人的資質によるところが大きいんだな」と言ったのをそのまま書いたことがある

▼総務部長が会見に出席した人事課長を3回呼んで、知事の語ったニュアンスを聞いたそうだ。何気なく同課を訪れると、深刻な顔の課長らに呼ばれて書いた意図など聞かれ、答えようがないでいると、とにかく部長に聞かれても答えてはだめだなどと口止めされた

▼前日銀総裁の黒田東彦さんも総務部長経験者で、物腰柔らかだったが、人事案件が自分を通らないことは不満だったらしい。中堅幹部が懸案事項を相談すると、それまでの慣例やルールを無視した方針を示されて、そんなことをしていいのかと思わず聞き直した話がある

▼いいの、いいのと意に介さぬ軽い返事に、キャリアにとって県の課題などその程度のものかとぶぜんとしていた。裏表の激しいキャリア組のエピソードは多い。斎藤元彦兵庫県知事の議会答弁や会見などを聞いているとさもありなんと思う。