伊勢新聞

2024年9月11日(水)

▼被害者である原告側の全面勝訴となった四日市公害訴訟が画期的とされた理由の一つは、被告の企業側に立証責任があるとしたことだと言われる。ぜんそくという古くから存在する疾患で、複数企業が汚染物質を排出しているのに、個々の企業に責任が問えるのかという問題で、共同不法行為があったと認定し、因果関係は疫学的立証で十分であるとした

▼原因物質が硫黄酸化物など大気汚染物質で、四大公害訴訟といわれるイタイイタイ病、水俣病、阿賀野川水銀事件など水質汚染が原因の公害と異なる。空気を浮遊する物質を具体的に特定するのは困難で、のち大気汚染防止法が成立している

▼長崎で原爆にあいながら、国が引いた枠の地域から離れていたという理由で被爆者と認められない理不尽さは四日市裁判の教訓を見ても明らかだろう。健康被害は歴然であり、被告企業らの排出物が原因であることは間違いない。あとは被害者をどう救うかの問題というのが四日市裁判だが、長崎地裁は国が空間に引いた線や、降ったのが「黒い雨」ならいいが「灰」では被爆が立証できないと言って、原告の訴えを退け、立証責任を求めている

▼原告44人のうち、15人は被爆者と認め、残りは認めないという分断の判決も、いかにも社会を六法全書からでしか見られない裁判官らしい。線を引いた内側にいたならよくて、外側にいたならなぜだめなのか、立証すべきは、突然の原爆投下で国民の多数の命を奪い、甚大な苦痛を与え続ける「国家」の責任だろう

▼被害者視点に立つというのも四日市公害裁判の教訓である。