伊勢新聞

2024年9月5日(木)

▼分かりやすさか正確さか―。両者は別物ではないが、一致しないこともないわけではない。新聞社のデスクでよく悩むのは裁判での用語だ。専門用語をそのまま使っては大多数の読者が理解できない。解説書を丸写しすれば膨大な量になる。簡略化したり意訳をすれば、正確性を問われる危険がある

▼行政などが意見募集をして類型ごとにまとめる場合、その困難さは察するにあまりある。意見募集の狙いがあらかじめ分かっているケースは、その意図に沿ってまとめているのではないかと勘ぐられたりもする。鈴鹿市で学校再編計画が持ち上がっている天栄中学校区で、在住者や関係者を対象に意見募集して類型化して発表した結果に、地元の住民団体が「整合性がない」と、類型化前の情報を公開請求したのはそのためだろう

▼市教委は「筆跡から個人の特定につながる恐れがある」などとして部分公開にしたが、市情報公開審査会は「特定の個人を識別できる部分以外は、全て公開すべき」と答申した。市教委と同じことを言っているつもりではあるまい

▼もっとも、住民団体と市教委の認識の違いをなくすこと自体はそう難しくはないのではないか。類型化せずに、意見をそのまま活字にして公開することである

▼末松則子市長は再編計画について「行政の思い込みも多々あり、もっと丁寧な説明が必要だった」。とすれば、住民との無用な誤解を解くのに「答申内容を吟味し、どうしていくかをよく考えて対応していく」(廣田隆延教育長)というほどのことでもない気はする。