2年ぶりの甲子園出場をかけた、夏の県大会を数カ月後に控えた今年の春先。三重3年の田中聡真遊撃手は野球部の主将解任を言い渡された。県内最多の春夏通算27回の甲子園出場を誇る名門を束ねる重圧に押しつぶされそうになっていた。「そりゃそうやろな」と、受け入れるしかなかった。
ほぼ順調な野球人生だった。宇治山田商の伊藤大惺主将らとチームメートだった嬉野中時代に全国大会出場。「憧れの場所」甲子園を目指して三重に進むと、高1からレギュラーの座を獲得。2022年夏の県大会優勝を果たすと1年で甲子園メンバー入りした。
暗転したのは、自分たちの代が最高学年になった高2の秋。ほとんど経験のない主将に抜てきされた。慣れない立場に戸惑いながら、6番、遊撃手で出場した秋の県大会は、春の甲子園切符がかかる東海大会に届かない8強で敗れた。
「自分のことで精いっぱい。自分もうまくいかない。チームもうまくいかない。やるのが嫌になって、なげやりになっていた」。見かねた沖田展男監督が役職を解いた。自分の後は同学年の岡田琉雅が主将を務めてくれた。
今年4月になると1年生27選手を迎えて野球部は100人に迫る大所帯になった。実戦経験の少ない下級生のため、「一時期キャプテンをやっていた経験も生かして、周りを見て行動しよう」と考えるようになった。
迎えた高校最後の夏の県大会。打順は6番から1番に変わり、持ち味の打撃と走塁で打線を引っ張った。ピンチの場面も明るく振る舞い、投手に「落ち着いて」「普段どおりいけよ」と声をかけた。
1回戦から4試合連続チーム二桁安打で2年ぶりのベスト4進出。準決勝で、今年春の東海大会準優勝の菰野の左腕エース栄田人逢に完封負けして「もう一度甲子園に戻って、自分のプレーを最大限出したい」と言う目標はかなわなかった。それでも「この大会を通して成長できたという実感はある」。仲間と一緒にもがき苦しんだ経験も糧に、進学して野球を続ける。