<まる見えリポート>船形埴輪の国宝記念企画展 古墳時代の死生観と政治

【船形埴輪の前で取材に応じる盛山大臣(右)と竹上市長=松阪市外五曲町の同市文化財センターで】

国の文化審議会が3月15日、松阪市の「宝塚1号墳出土埴輪(はにわ)」の国宝指定を答申した。対象は船形、囲形、家形の他、埴輪残欠や土器・土製品を含め計278点に上る。国宝は同市初で、県内では7件目。埴輪の国宝は全国3件目となる。所有する松阪市文化財センター(同市外五曲町)は国宝決定を記念して夏季企画展「深掘り!宝塚1号墳の埴輪」(9月8日まで)を開いている。古墳時代の死生観や、同古墳が造られた5世紀、雄略天皇の時代の政治が分かる。

宝塚1号墳は同市宝塚町・光町にある。船形埴輪は日本最大級の全長約1・4メートルを測り、台座を含め高さ94センチ。船内に大刀(たち)や蓋(きぬがさ)など威儀具4個が立つ。傍らに入り母屋の家形埴輪が置かれた。

企画展はほとんどが初公開の94点を出品。常設展の船形埴輪など60点と合わせ国宝対象の半数近くを披露する。出土したうち最大とみられる家型埴輪の部材や船形埴輪の2、3号船、鳥の羽の埴輪などが並ぶ。

今月13日の開会式で盛山正仁文部科学大臣が「国民全体の貴重な宝。大切に守り伝えたい」と呼びかけ、竹上真人同市長が「船形埴輪発見から24年間の思いが結実した」と祝った。

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宝塚古墳の船形埴輪は和田晴吾立命館大学名誉教授が先月刊行した「古墳と埴輪」(岩波新書)に登場する。同書は「古墳からは船を描いたものや、船の形を象(かたど)ったものが少なからず出土し、時には船そのものも見つかっている」として、「他界へと死者の魂を乗せて行った船」と考える。

奈良県天理市の東殿塚古墳の楕円(だえん)筒埴輪に描かれた3つの船の絵を手掛かりに「船首には鳥が留まっている。どの船の吹流しも右から左へ勢いよくなびいていることから判断すれば、これらの船は鳥に導かれつつ左から右へ(他界に向かって)勢いよく天翔(あまがけ)ている状態だと推測することができる」と説明する。

他界へ向け天空を飛ぶ表現が、宝塚の船形埴輪を支える2つの円筒台のようだ。華麗な船上装飾に目を奪われ注意されないが、台座のおかげで船体が地べたでなく浮かんでいる。海ではなく天上へかけているのだろう。

企画展の鳥形埴輪や常設展の鳥形装飾の土製品が、埴輪の船を導くのかもしれない。

また辰巳和弘同志社大学元教授は「他界へ翔る船」(新泉社、平成23年)でベッドの「牀(とこ)」がある家形埴輪を取り上げ、「古代、神意は夢にあらわれると考えられた」「夢をみるための牀は、夢に示現(じげん)するために神が降臨する場と考えられた」と解説する。船形埴輪の横にある家形埴輪もこれから向かう異界を夢見る場所なのかもしれない。

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前掲「古墳と埴輪」は古墳の役割について「文字のなかった時代において、広域を支配するヤマト王権という、これまでになかった新しい概念の宗教的政治的権力の存在とその秩序とその広がりを目に見えるものとして王権全域に知らしめ理解させる媒体となった」とみる。

5世紀初めに造られた前方後円墳の宝塚1号墳は、隣に造り出し付き円墳とみられる同2号墳が並ぶ。遺体が眠る後円部の直径は1号墳の75メートルに対し、2号墳は83メートルで上回る。

被葬者について岡田登皇學館大学名誉教授は、論文「伊勢朝日郎の誅伐(ちゅうばつ)と宝塚古墳群」(「神道史研究」平成17年)で、雄略天皇に攻め滅ぼされた伊勢の朝日郎が2号墳、その父が1号墳と推定した。

同論文によると、「日本書紀」に出てくる朝日郎は「『アサカのいらつこ』と訓(よ)んで、津市南部から多気郡北部にかけて想定される阿坂国を支配した豪族」とされる。雄略天皇は474年、物部氏を遣わして朝日郎を捕えて殺した。

雄略天皇は葛城氏や吉備氏も倒した。両氏族は伊勢最大の宝塚1号墳(全長111メートル)の2倍、3倍ある宮山古墳(245メートル、奈良県御所市)、造山古墳(350メートル、岡山県岡山市)を5世紀に造っている。雄略は「雄大なはかりごと」を意味する。一つの国家へまとまる流れが分かる。