伊勢新聞

「おっさんでもできるのやっていうところ見せたい」 パリ・パラ射撃代表の岡田和也

【パリパラリンピックでの活躍を目指して練習を続ける岡田和也選手】

8月28日から開催のパリ・パラリンピック射撃代表の1人に三重県鈴鹿市在住の岡田和也(サイオネスヘルスコマーシャル)が選ばれた。初のパラ五輪出場。30代後半で左上腕を失う事故に遭うも、パラリンピック出場を目標に障害者スポーツの世界で再起。パラ射撃の国内強化選手男子最年長という54歳は、夢の舞台を前に「おっさんでもできるのやっていうところを見せたい」と話す。

昨年10月のアジアパラ大会で混合エアライフル伏射(運動機能障害SH1)予選で10位になってパリパラの出場枠を獲得。パラ五輪代表入りも有力とした。コーチから朗報を聞かされたその場で涙を流した。

パラリンピックが心の支えだった。産業廃棄物中間処理会社に勤務していた2006年、仕事中に左腕を失う重大な事故に遭った。それでも13年に東京パラリンピック開催が決まると、パラリンピックへの出場を目指して障害者スポーツの世界で生きていくことを決めた。

学生時代はバレーボール、社会人になってゴルフでシングルプレーヤーを目指すなどもともとスポーツが得意だった。障害者スポーツの世界に入った当初はゴルフに打ち込み、東京パラ五輪開催が決まると、地元パラ五輪の開催種目の体験会で出会ったパラ射撃と陸上(投てき)の2競技を重点的に練習した。途中、腰痛で断念した投てきでもジャパンパラ陸上競技大会優勝の実績がある。

コロナ禍で行われた東京パラ五輪は選考レースからの脱落を余儀なくされた。新型コロナウイルスが猛威を振るう最中の21年6月、ペルーで行われたワールドカップ(W杯)の出張許可が降りなかった。コロナの逆風も乗り越えてつかんだパラ五輪切符だった。

家族、専属トレーナーら周囲にも恵まれた。アスリート社員として在籍の現在の会社に所属するまで勤め上げた前の会社を辞める時は、妻が「自分の好きなことやったらといい」と背中を押してくれた。支えてくれた全ての人に報いるためにも、男子パラ射撃では初というパラ五輪入賞を目指す。