伊勢新聞

2024年6月29日(土)

▼イスラエルの対ハマス戦争が「大量虐殺」「人権侵害」だと国際的に非難され続けている。しかし、歴史をさかのぼれば戦争は常に「大量虐殺」「人権侵害」を招いている。昔はそんな概念がなかったからなおさらだ

▼本県の歴史でも、織田信長の長島攻めがまさにそうだった。長島の一向宗門徒は、石山本願寺の命により、元亀元(1570)年から信長に抵抗し、信長の弟の信興を切腹させたりしたため、信長は激怒。元亀2(1571)年から3回にわたり長島を攻めて滅亡させた。1回目と2回目は長島側のゲリラ作戦により信長軍は敗走。3回目は志摩の九鬼水軍を中心に大軍で兵糧攻めにし、ついに陥落させた

▼長島の2つの砦(とりで)の中では餓死者が続出、夜陰に乗じて脱出した信者たちは、全て信長軍に斬り殺された。3カ月の籠城後、門徒たちは降伏して船で砦を出たが信長軍の鉄砲で打たれ、川は赤く染まった。さらに砦内に残った老若男女約2万人は外から火を放たれ全員焼き殺された

▼いまの長島は桑名市の一部となり、温泉と「スパーランド」「なばなの里」がある平和な町だ。果たしてガザに平和は戻るのか。