伊勢新聞

2024年4月30日(火)

▼「花に嵐のたとえもあるぞ」は、井伏鱒二の『厄除(やくよ)け詩集』の一節。中国・唐の詩人、干武陵の『勧酒』の中の「花発いて風雨多」を訳し、続く「人生別離足る」を「さよならだけが人生さ」と訳して名訳といわれる

▼春は花で季節を表す言葉が多い。「花曇」もその一つで、大型連休2日目の28日は日本列島が高気圧に覆われ、今年一番の真夏日になったと思えば一日で崩れ、県は雲に覆われ、午後から小雨が降り出した。春雨である。春雷から菜種梅雨となり、そのまま梅雨入りになることもある。イメージにあるさわやかな5月が実現するかは心もとない

▼近くの公園の里山で甲高いケキョケキョの鳴き声が響きわたった。4月初めから例年、ウグイスの発声練習が始まる。低くケキョケキョとさえずり、ホー、ホーと鳴きだし、ホーホケキョと鳴きだす。鳴き声で小鳥は会話をかわしているという。けたたましいケキョケキョの声は、危険を知らせる合図だったか

▼隣の野球場から少年野球への声援が響く。競うつもりかもしれない。初夏の訪れを満喫させる。今年の桜は天候に恵まれたとも言えない代わりに春雷にもあわず、比較的長く楽しめた気がする

▼「花に嵐」は「月にむら雲」と対に用いられて、せっかく名月や桜を楽しもうと準備しているのに雲がかかったり、嵐が来てじゃまをされるの意味。春や秋の不安定な天候をたとえてもいようが「好事魔が多し」ともいう

▼とかく人の世はままならないたとえだ。さよならだけが人生だと投げだすか、だから諦めず粘り強く努力、挑戦を続けるか。