▼天皇や公家の行動規範「禁中並公家諸法度」(1615年)を江戸幕府が定めたきっかけは宮中の一大醜聞事件とされる。天下無双の美男公家の猪熊教利が女官らを次々に口説き落として関係して、ほかの公家らも誘って集団乱交をした
▼時の後陽成天皇は全員死刑を主張したが、あまりの大人数に驚いた幕府が介入し、死刑は猪熊ら2人。10人ほどを配流にし、規制を強める好機にしたといわれる
▼平成、令和の時代、教育現場にあって少なくとも8人の女性と不倫関係にあったという津市立小の58歳の男性教頭が、保護者らのごうごうたる批判の中、県教委らに守られ、定年2年前に何の処分も受けず、めでたく依願退職した
▼「あくまで本人の申し出。退職を促したわけではない」と県教委。理由は「個人のことに関わる」。教育現場の風紀がいかに乱れていようが、ただ静観するだけということだろう
▼昨年10月以来、病気を理由に出勤していなくてもお構いなし。教頭を新たに1人任命、異例の2人教頭体制にするなど、臭い物にフタをするのに大わらわ。教諭の懲戒処分にセクハラが定番なのも分かる気がする
▼セクハラをした鈴鹿市の教諭の場合、保護者の抗議を受け市教委は、問題を大きくすると子どもの将来に関わる、あと3カ月で退職だなどと説得し、学校現場から逃がした。名張市で自殺した校長の場合、1カ月以上の病気休暇はキャリアに影響すると言われた
▼教育委員会のダブルスタンダードぶりがよく分かる。教員行政の責任者である知事はどう思うか。