伊勢新聞

2024年1月18日(木)

▼政治家の詠む俳句は、句そのものの善し悪しにだけ価値があるとは限らない。県の政治家で俳句で知られたのは孝堂の号を持っていた藤波孝生元官房長官だろう。句集も多く、随筆などにも随所に俳句が出てくる

▼リクルート事件で検察の標的になり、リクルート社長だった江副浩正氏が“人質司法”のあげく、検察のストーリー通りに供述させられたと著書『江副浩正の真実』で言っている。以来10年の法廷闘争の節目で句を詠んでいる

▼敵は百万ありても我は行くみたいな勇ましいのもあって少々もてあましたが、最高裁で上告が棄却され、刑が確定した時の句は心にしみた。記憶だけで記すのは危ういが、今生の喧嘩の果てに蝉来る、だったか。ある種すがすがしさを感じた

▼引退会見の「晴ればれと梅雨明けここに40年」。次期総理確実と言われたが、吹っ切れた感。気持ちを大自然の中に投影させ、客観的に見つめ直すのが、気持ちを掘り下げていく短歌と違った俳句の特徴なのだろう

▼中森博文県議会議長が年頭会見で「今年の一句」として「元日の震災乗り越え昇龍道」と詠んだ。あまりに悲惨な出来事は少しほとぼりが冷めるまで雅文になりにくい、というのは東日本大震災などで言われたが、議長のねらいはむろん文学にあるのではあるまい

▼「被災地に寄り添い、震災を乗り越える」ことに加え、中部・北陸を「龍」に見立てた観光ルート「昇龍道」の振興をも掲げたという。気持ちをそのまま17文字で表現したということであろう。特に17文字である必要もなかった気はするが、気は心である。