伊勢新聞

2024年1月12日(金)

▼「真摯(しんし)に受け止める」というのも「遺憾に思う」と同様、おかしな言葉だ。前者は「誠実に取り組む」、後者は「残念に思う」が本旨だが、謝罪として受け止められたりする。日常生活で使われることはないから、特別な人々の特別な言葉ではあろう

▼横浜市の化学機械メーカーの社長らが不正輸出の疑いで逮捕起訴されたえん罪事件で、東京地方裁判所の「検察と警視庁の捜査は違法」とした判決を不服として国と都が控訴した。違法ではないという主張が認められなかったからというのだが、起訴を取り消したことについては「真摯に受け止める」。意味は「真面目に受け止める」だから、悪いとは思っていないのだろう

▼民間が言ったら「何様のつもりだ」とネットなどで袋だたきにあうのではないか。検察は「その時点での証拠関係を前提に相当と判断した」から違法とは言えないという。それが「捜査を尽くさなかった」ことという反論には聞く耳を持たないのだろう

▼かつて県中央卸売市場での魚あら処理を不適正な補助金を出して民間処理業者に委託し、担当部長2人が事実上の責任をとって早期退職したことがある。確認したら、本人は「その時々で最善と思える対応をした。責任などと言われると今後行政はできない」と怒っていた。結果責任という言葉はなかった

▼RDF(ごみ固形燃料)爆発事件当時も声高に聞こえたが、遺風は今も捜査機関にありということだ

▼不祥事のたびに懲りずに再発防止策を出す県は、思えば愛すべき権力組織と言えるのかもしれない。