伊勢新聞

2023年10月22日(日)

▼国が全国に新都市構想を推奨していたころ、計画地の中枢に高等教育機関を据えるのが一つのパターンだった。上野新都市構想(当時の名称)を進めた上野市(現・伊賀市)も高等教育機関の誘致に苦労していたが、折も折、4年制大学設立を目指す亨栄学園の候補地選定委員らが訪ねてきた

▼学校群を設置している鈴鹿市での建学を希望したが、鈴鹿医療大学の誘致に成功した当時の市長に冷たく突き放され、県内各市を行脚し、上野市にたどりついた。市長は大歓迎で、用地の無償提供や助成金の議会承認も取り付けたが、この動きに慌てた鈴鹿市長が一転して優遇策を提示し、上野市は袖にされた。病床でその報を聞いた市長は病状を悪化させたとうわさされた

▼代わって皇學館大学が社会福祉に特化した学部校舎を新設したが5年ほどで閉鎖に追い込まれた。「社会福祉に情熱を持つ優秀な人材が集まったが、就職先に将来の希望が持てず、別の職種に流れてしまう」というのが教授の嘆きだった。サテライト式高校の失敗も続いた

▼教育機関や公共施設をまちづくりのアクセサリーにするかのような試みの失敗例が県にはある。今度の県立大構想は、若者定着計画のアクセサリー。少子化対策として若者を定着させるため、少子化でサバイバル激化が始まった大学に頼るはなはだ安易な着想ではあった

▼激しく浮き、結局沈んだ2年間の検討期間。「日数がかかりすぎている。問題があるのでは」と稲垣昭義県議。「それだけ大きな問題だった」(一見勝之知事)というだけでは説明責任を果たせたといえるかどうか。