▼小学校では、4年生から入部資格がある野球部に入り、夏の炎天下を走り回った。中学校はサッカー部で、やはり真っ黒になってグランドを走った。バテるので練習中に水を飲むのは禁止の時代だ
▼屋外の朝礼など全校集会で倒れる児童もいたが、小学校では主に女子で原因は貧血。中学校で男子にも見られるようになり、軟弱なやつめという目で見ていた。野球部員が倒れた時などは、いったいどんな練習をしているのだと友人らとののしったものだ。そのころは日射病警戒。熱中症は最近で、違いはよくわからぬまま、代謝がうまくいかなくなったお年寄りや子どもがかかると思っていた
▼部活動を終えた山形県米沢市の女子中学生が熱中症とみられる症状で死亡したのは従って衝撃だった。長年の認識が覆されたが、同時に世界気象機関(WMO)などが7月は過去最も暑い1カ月で、12万年に1度という途方もない見方が身近に迫ってきた。米国や欧州の50度超えなどから見ると深刻さはほど遠いが、東北・山形の出来事である。温暖化もここまできたかの感は強い
▼四日市公害など公害の時代と言われた当時は、対策は国の施策も含め、工場の煙突を高くすることだった。高くして煙を遠くに拡散させるというのである。やがて被害が拡散されて広範囲を覆い、ようやく二酸化硫黄などの公害物質の抑制に取り組み始めた。温暖化対策でいえば、今どの段階にあるのか。原子力施設の延命や石炭火力の継続など、個別の効果はあっても、全体を見通せていない気がする
▼考えは地球規模で、行動は足元から、である。