<まる見えリポート> 小津安二郎生誕120年 記念行事や出版続々

【小津安二郎生誕120年ロゴマークを掲げる竹上市長=松阪市役所で】

今年は「東京物語」で知られる映画監督小津安二郎(1903―63年)の生誕120年の節目となり、記念行事や出版が続いている。小津は9―19歳、三重県松阪市に住んでいた。竹上真人同市長は「松阪は小津安二郎が青春期を過ごし、映画監督を志すきっかけを作った場所」とアピールしている。

小津は松阪商人の家系に生まれ、9歳で東京から松阪へ転居し、伊勢の旧制中学(現在の県立宇治山田高校)で5年間を過ごした。卒業して松阪市飯高町の宮前尋常小学校で代用教員を1年勤めた後、松竹キネマに入社する。最期までユーモアを忘れなかったかのように60歳の誕生日(12月12日)に亡くなったので、生誕120年は没後60年となる。

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松阪市は昨年12月、「小津安二郎松阪日記 大正7年・10年」を刊行した。大正7年は中学2・3年、同10年は中学5年と卒業後の浪人期に当たる。昭和8年以降の日記が本になっているが、10代の内容は初めてとなる。

【「小津安二郎松阪日記」表紙の14歳の写真】

藤田明・全国小津安二郎ネットワーク顧問(津市)は同書の解説で「松阪日記」に続く大正11年について、「浪人期の後、受験した三重師範が不合格となって、浪人2年目に入るか、という矢先、飯高の宮前小学校5年男子組を担任する機会が到来した」「地元の糸枝さんとの芝居見物に至ってはなおさらだが、飯高を去る前後や彼女へのほのかな思いを記した親友の奧山正次郎宛ての長文の手紙などは日記に代わって山里での青春を伝える資料に違いない」と言及。「三重での10代の10年間がその後の人生と作風を決定したとも考えられるのではないか」と提起している。

テレビドラマの脚本や「日立世界ふしぎ発見!」の構成などを手がけてきた伊勢市出身の児島秀樹氏は今年4月、小津の代用教員時代を描いた小説「おーづせんせい」(徳間書店)を発刊した。教え子らが小津の思い出をつづった文集を基に執筆し、「初恋」「珍布峠の決闘」「特別授業」「ヒョウタンの失恋」「芝居つくり」など13章で若き小津を活写した。

児島氏は「教え子の文集は埋もれてしまってはいけないすてきな記録」と執筆動機を語り、「小津先生はものすごい人気があった。雨の日、他の先生は掃除をさせるが、小津は子どもたちが一度も見たことのない活動写真をサイレント映画の弁士よろしく再現する。それが子どもたちの一番の思い出になっている」と話す。

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小津監督の郷土愛はスクリーンに現れ、上京した老夫婦を息子と娘が煩わしがる名作「東京物語」では「兄貴とまっつぁか(松阪)の方に出張しとりましてなあ」のせりふが意味もなく飛び出す。しがない旅役者らの浮草稼業を描いた「浮草」は県内で撮影した。

映画評論家の吉村英夫氏(津市)は昨年10月出版した「『男はつらいよ』、もう一つのルーツ」(大月書店)で、山田洋次監督の源流に小津を位置付け、「小さな物語の奥にある人間と人生の深さを描き切る」小津の魅力を掘り下げている。

小津映画に対する山田監督の言葉「小津さんは細部を描きながら全体を描くことができた希有の人なんでしょうね」「たんたんたる人の暮らしのちょっとしたエピソードを捉えて、人間全体を描こうとしているのかな」を紹介している。

松阪市は昨年4月に商標登録した「松阪市小津安二郎ロゴマーク」の生誕120年記念バージョンを用意。活用を呼びかけている。

同市や顕彰団体でつくる小津安二郎生誕120年三重連絡協議会は6月17日、津市一身田上津部田の県総合文化センター中ホールで「小津安二郎生誕120年記念映画祭in三重」(伊勢新聞社後援)を開催。「秋刀魚の味」を上映し、出演俳優佐田啓二の長女で俳優の中井貴惠氏が小津監督の思い出を語った。

松阪市は7月9日、同市川井町の農業屋コミュニティ文化センターで井上和男監督のドキュメンタリー「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」上映会と、小津監督を敬愛する俳優の佐野史郎氏らのトークイベントを開く。

8月27日に同市本町の産業振興センターで活動弁士・楽師付きサイレント映画「出来ごころ」上映会を、12月9日―2月25日に同市殿町の歴史民俗資料館で松阪日記を基にした企画展を開催する。