2023年6月11日(日)

▼平成29年の衆院選挙区の区割り変更で伊賀地方出身の自民党川崎二郎氏が2区に国替えして同区の立憲民主党中川正春氏(当時は無所属)と激突して敗れ比例復活、令和3年選を前に引退した

▼同選で後継の長男、秀人氏に敗れ比例復活した中川氏が、この時期にまさかの引退表明。歴史は繰り返すか。異例なのは引退表明の場に県庁での会見を設定したこと。参院議長などを歴任した斎藤十朗氏の引退(平成16年)を巡っては歯がゆい思いをした

▼自民党県連会長を務め、3期への出馬を巡っては党内にさざ波もたったが、共同通信から「不出馬意向」の短い記事が届いただけで本人はつかまらない。後援会幹部らの口も重い。先の短い記事(約350字)をそのままトップで扱わざるを得なかった

▼中川氏は自民県議3期経験。松阪・飯南郡選挙区(当時)でいずれもトップ当選。“青年将校”の異名もある理論派で、国会への道が約束されているように見えた。現実には自民も、松阪も離れ、日本新党、新進党などを経て、北川正恭氏後継として2区から出馬。“外様”などと言われながら当選を重ねてきた

▼「県議をしていると、国を変えなければ、県政ではどうにもならないことがよく分かる」と国会を目指したが、達成できたか。課題の区切りにあげたのが日本語教育の充実関連法の成立。整然とした校長人事の輪切りなどを追求していた往時を思い出す

▼国会転出後は疎遠だったこともあり、県議時代が一番輝いていたようにも見えるが、最後の区切りの場に県庁を選んだことに、相通じる物を感じた。