▼統一地方選で改選された道府県議会の30議会で女性が増え、うち22議会が過去最多だった。共同通信調査によると、県の女性議員数は全国で28位。改選前と数は変わらないから大きく順位を下げたことになる。議会先進県の位置と同じ、と言っては言い過ぎだが、候補者選考段階で各政党・会派とも女性を意識した動きはなかった
▼女性の参政権が初めて行使された昭和21年の衆院議員選挙で39人の女性が当選。いま45人でほとんど変わっていない。県に女性議員が誕生したのは半世紀前ごろか。“女傑”と言っては今の時代危ういが、舌鋒鋭く、しかも内容のえげつなさで、並いる男性議員が顔をしかめて相対するのを避けたといわれる
▼議員辞職後もそれまで通り婦人団体代表を務めていたが、県消費生活課が経理の不正疑惑を見つけた。男性議員の応援のもと告発寸前までいったが「ちょっと手を緩めた」というのが当時の消費生活課長の話
▼それから十数年。昭和59年ごろ筆頭部長の企画調整部長が病死した。次の人事異動まで約4カ月間。県は異例の空席を続けた。県職員が口をそろえる後任候補は当時の津県民局長で十数年前の消費生活課長だった
▼婦人団体代表として健在だった元女性議員から知事へ「うん、電話はきていた」と秘書課長。絶対部長にするな、でなければ次期知事選で反対演説に立つぞ、という内容で知事を悩ませ、脅され続けたらしい
▼善きにつけあしきにつけ、女性議員の草分けとして必要なパワーだったに違いない。以後長く、県議会に女性議員は途絶えた。