三重県明和町など産学官8団体で麻栽培の復活に取り組む「天津菅麻(あまつすがそ)プロジェクト」は15日、種まき神事を執り行った。国史跡「斎宮跡」内の町有地や休耕地の3カ所、約60アールで薬理成分がほとんどない繊維用品種を育てる。神事に使うだけでなく、麻関連の産業振興を狙う。
同プロジェクトは栽培業者をはじめ同町や皇學館、三重両大学、伊勢麻振興協会、明和観光商社などで結成。古来から麻とゆかりが深い同町を「麻の聖地」と捉え、麻に関する歴史文化の継承と、栽培の担い手確保、麻産業の振興を目指す。
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神事で使う麻の栽培は大麻取締法で制限され、知事免許が必要。薬物成分の含有量は品種で異なるが、ひとくくりに厳しく規制され、生産者が減少してきた。栽培農家は最盛期には3万軒以上を数えたが、現在は20数軒に激減している。
伊勢麻振興協会は平成26年に発足し、5年前から麻の生産に取り組んできた。同協会理事長を務める小串和夫皇學館理事長は「このままでは中国産や化学繊維に頼る以外に神事などの伝統を維持できなくなる」と危機を説明する。
しかし、規制の壁に直面してきた。小串理事長は「生産物である精麻の供給先も県内の神社に限定される」「神社でないという理由で皇學館大学での実習に伊勢麻を使用することすら認められていない」と訴える。
同協会の県、国への働きかけなどで昨年末、県の規制が大幅に緩和された。大麻取締法も改正される見込み。栽培規制は薬理成分の多寡で分け、医薬品への活用を可能にする。
一見勝之知事は昨年9月の県議会で「毒性のないものに対して規制をかける、これはおかしな話」と答弁。県大麻取扱者指導要領を改正し、有害成分が低い品種は栽培地を制限せず、柵や監視カメラを不要とした他、収穫時に雇う従業員に求めていた麻薬の中毒者ではない証明の医師の診断書を栽培者が作成する書類で代えるなど負担軽減を図った。
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今月15日に同町斎宮のいつきのみや地域交流センターで種まき神事や記念講演があり、18日に復元建物「さいくう平安の杜」横の麻畑で種をまいた。
種は木製器具で均等にまき、密集して育て、真っすぐ伸ばす。収穫する7月には高さ約3メートルに伸びる。蒸した茎の皮から繊維を取る。
記念講演で佐野真人皇大准教授は「麻の持つ成長の早さ、生命力の強さに神聖性が自然と見出されていった」と語った。
プロジェクト名は大祓(おおはらえ)の祝詞「天津菅麻(あまつすがそ)を本(もと)刈り断ち、末(すえ)刈り切りて、八針(やはり)に取辟(とりさ)きて」から取った。麻の上下を切った中間を細かく割いて使う。
明和町には麻と関係する神社や地名が多い。祓川右岸の同町中海(なこみ)に麻続(おみ)神社があり、「麻績(おう)み(麻を績(つむ)ぐ、麻糸を作る)」を意味する。麻続郷は祓川の下流域とされ、中海は「中麻続」がつづまった。
祓川対岸の松阪市井口中町に神麻続機殿(かんおみはたどの)神社があり、伊勢神宮の神御衣祭(かんみそさい)に供える麻布を作っている。
近くの同市魚見(うおみ)町の町名も麻績由来説がある。
麻続は「続麻郊(おみの)」の表記で「日本書紀」に出てくる。朝鮮半島に遠征するため駿河国に船を造らせ、続麻郊に回航した夜中、船の前後が入れ替わり、白村江の戦いに負けると分かったという。
原文は「駿河国に勅(みことのり)して船を造らしむ。已(すで)に訖(つくりおわ)りて、続麻郊(おみの)に挽(ひ)き至る時に、其(そ)の船、夜中に故(ゆえ)も無くして、艫舳(へとも)相反(あいかえ)れり。衆(ひとびと)終(つい)に敗れむことを知(さと)りぬ」。
県埋蔵文化財センター活用支援課の穂積裕昌課長は「なぜ、麻続まで回航されてくるのか」「船で布に関わるもの、挽いてくる……となると、この地つまり麻続郊で帆を張ったのかな」(桜井市纏向学研究センター編「纏向学からの発信」大和書房)と卓見を示している。神聖な麻布なので神意が現われ、船首が反転して逃げ帰る予言になっているのだろう。
この翌月、遠征に向け瀬戸内海を航行中の船で実在が確かな最初の斎王となる大来(おおく)皇女が生まれる。斎宮歴史博物館南の発掘中の中枢区画に住んでいたらしい。
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種まき神事には約100人が出席し、皇大祭式研究部が執行した。
一見知事は祝電で「麻は神事に必要不可欠。海外では食用油や自動車部品に使われている。広く産業振興を進めたい」と期待した。
世古口哲哉町長は「麻と深いつながりを持つ明和町でプロジェクトが始まり、うれしい。町、県、日本の活性化につなげていければ」と意気込んだ。