三重県都の顔を決める津市長選が来月16日告示、23日投開票される。市の課題の一つとして中心市街地の活性化が挙げられる。特にかつて商業の中心地だった大門・丸之内地区は空き店舗が目立つなど衰退が顕著で、対策が急務となっている。ただ、まちの再生は一朝一夕にできず、長い時間を要する。だからこそ、早急な着手が必要だ。
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20日に同市大門の市センターパレスホールで、大門・丸之内地区の将来像を盛り込んだ「大門・丸之内地区未来ビジョン」の策定委員会が開かれ、ビジョンの最終案が採択された。策定委員会は市や県のほか商店街や自治会、企業、公募で選ばれた市民ら官民の22人が参加し、約2年かけてビジョンを練ってきた。同時に、ビジョンを実行に移していくエリアプラットフォームの設立会も開かれ、約80年ぶりとなる新たなまちづくりに向けスタートを切った。
ビジョンでは人が集い交流、活動できるまち▽楽しく歩いて回遊できるまち▽エリア価値の高いまち▽魅力情報が発信されるまち▽持続可能なまち―の5つの目標を立て、それぞれ実現に向け20年先を見据えたロードマップを示している。
例えば「楽しく歩いて回遊できるまち」では、津城跡や観音寺など歴史的施設や商店街などエリア内を歩いたり、自転車や自動運転車などを利用したりして回遊できる仕組みをつくる。
「エリア価値の高いまち」では、商業だけでなく「生活の場」として居住者を増やしていくことを目指す。具体的には小規模の土地を集約して新たな土地活用を進めるほか、空き店舗への食品スーパーなどの誘致、空き家をリノベーションして住宅などに再利用できるようにする。
市ではまず、来年度から空き店舗の実態調査に乗り出す。大門・丸之内地区には約1500件の店舗や住宅があるとされるが、空き家や空き店舗などの実態はこれまで把握できていなかった。職員が一軒づつ訪ね歩いて状況を把握し、その中で将来の考え方なども確認し、希望者がいれば土地の集約につなげていきたい考えだ。
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大門・丸之内地区は戦災で焼け野原になった後、昭和21年から戦後復興の土地区画整理事業が行われ今の姿になった。同じ中心市街地でも一部再開発などが進んだ津駅周辺とは違い、この約80年間、まちの区画はほぼ変わっていない。
戦後の経済復興に伴い、企業のオフィスや百貨店、大型スーパーが進出し、市経済の中心地となっていく。ただ、商業施設が郊外型に変化する中で、徐々に陰りが見えてくる。昭和60年にセンターパレスがオープンしたのをピークに、平成に入り大型スーパー2店が相次いで撤退、大門大通り商店街では空き店舗が目立つようになった。平成30年に商店街のアーケードを撤去。明るく開放的な空間を目指したものの賑わいは取り戻せず、そこにコロナ禍が直撃した。
大門で30年以上、飲食店を経営する70代の男性は「後継者もおらず、先行きの見通しが立たない。このままでは本当に、店もまちも終わってしまう」と危機感を募らせる。
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市などによると、対策が進まなかったことの一つに、平成18年の10市町による市町村合併で、合併20事業と呼ばれる旧市町村ごとの事業が優先的に実施され、中心市街地対策が後回しになったことが挙げられる。また、10年ほど前までは、店主や住民からは現状維持を望む声が多かった。しかし、高齢化が進む中で、店主らの意識も変わってきたという。
満を持して官民共同で作り上げたビジョンだが、財源が加味されていないほか、実施主体もあいまいで実現性に疑問符がつく。さらに、基本的に現行の道路や区画を前提としており、ランドマーク的な施設の誘致など大がかりな再開発は盛り込まれておらず。大胆なまちの再生といった魅力に乏しい面も否めない。
策定委員長を務め、引き続きエリアプラットフォームでも委員長に就任した辻正敏氏は「再開発が必要なら進めていく」と強調する。「もともと津観音もよそから移転してきた。移転が必要ならやる覚悟だ」と話し、大胆なまちづくりも辞さない決意を示している。
市の担当者も「将来的にはビジョンの変更もあり得る。まずは可能なところから着実に取り組んでいきたい」としている。
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市長選には今のところ、現職の前葉泰幸市長(60)が4選目指し立候補を表明している。