▼一見勝之知事の「南北格差はないと思っている」発言を追求した村林聡議員について、本紙『記者席』が「温和なイメージが、これほどヒートアップするとは」。同議員の父は県政策部長を務めた守氏で、同議員の方が顔はいかついかなと思っていたが、温和なイメージは共通らしい
▼守氏が選挙管理委員会の事務局員だったころ、選挙とカネの問題で選挙資金収支報告書を調べて情報のアクセスが困難になった時、わざわざ訪ねてきて詳説してくれた。あまり例がないことだったが、選挙関連法の趣旨を述べ「いつでも聞きに来てくれ」と言ったのを思い出す。硬骨漢は父親譲りか
▼おっと、出自を披歴する一見知事の癖が映ってしまった。この日の南北問題でも「私は亀山、北の人間だが、家族は南、兄弟も」などと前置きしていた。「格差」の意味について「格付け、等級、レベルなどの差や違い」と紹介した上で「分断するような言葉は避けた方がいいのではないかと思っている」
▼だから「南北格差はない」と言ったというなら、言葉の使い方がまことに情緒的。一方で、移住件数や収入の南北比較をして「差はあると思います」。非論理的でもある。問題の本質を見えなくするという村林議員の指摘にも答えていない
▼安倍晋三元首相の国葬に参列した知事は「参加しない理由は見つからない」など受け身の姿勢だったが、厳かな式典と、式場外での反対デモなどをつぶさに見たに違いない。思うところとして「分断」の言葉を避けたのなら、言葉の選び方として不適正から不適当程度に緩和されるかもしれない。